6/25-26と、鹿児島に行ってきた。鹿児島市内に行ったのは実に19年ぶり。鹿児島全体だと6年ぶりのこと。空港に降り立つ直前、窓には赤茶けた桜島が噴煙を上げているのがよく見えた。地元の人によると、男山にも女山にも見えることがあるという。うん、ホントにすごい。もし僕が鹿児島に生まれていたら、この桜島を見て育ったら、きっと全然違う人生を歩んだんだろうなぁと思う。
実は和歌山大の学生チームは7/22の日食にあわせて、鹿児島でバルーンの打ち上げを予定している。今回の旅行はその下見である。もっとも僕自身は、当日は和歌山で留守を守らねばならないので、行けないのだけど。薩摩半島の西側をバルーンの回収ポイントとしているため、薩摩半島から鹿児島湾を横切って大隅半島まで、放球予定地点が存在する。当日の気象状況によって、放球場所を変えて着水点を固定させる作戦だ。また国交省や海上保安庁、県庁、協力してくれる船主さんや関係先と、2日間で廻るべき所もぎっしりある。全然休み無しの2日間となった。のだけれども・・・
なんとか時間をやりくりできたおかげで、放球予定地点としては最東端だった内之浦に行くことができた。そう、もうあれは6年前。僕が会社を辞めて、テンポラリーで秋田大に行く直前。ずっと係わってきた探査計画の立案の仕事から、学生教育中心の活動に大きく舵を切るやく1年半前。はやぶさを送り出したM-V 5号機の打ち上げに参加するために、僕は内之浦に居たのだ。
あの頃の僕の中には、大きな大きな不安しかなかった。会社は辞めた。でも大学人としてやっていく目処も立っていなければその方向性も定まっていない。とってもちっぽけな存在だった。そんな僕にとって、内之浦は圧巻だった。相模原の宇宙研本部しか知らなかったからだろうけれども、そこには、僕が知っているのとは全然違う、宇宙研のもう一つの姿があった。一言でいえば・・・やんちゃ坊主の夢の系譜。糸川英夫というガキ大将が、やんちゃ坊主を集めて作り上げた一大秘密基地。そんな印象だ。
そうか、糸川先生はこんなところに根城を造り、あんな事をやったのか。だからこそ世界で4番目に人工衛星を打ち上げられたのか。壁に掛かる打ち上げ記念の寄せ書きに、沢山の沢山の、先達の名前が書かれていた。この寄せ書きは、打ち上げの後の集まりでみんなが書くのが習わしだ。一つ一つのロケットの寄せ書きが、やんちゃ坊主達の夢の蹟なのだ。わくわくした。ドキドキした。明日からどうなるかもわからない身だったけど、そんなことはどうでも良いのだと思った。やりたいことを、思いきりのびのびやるべきなんだ。そんな風に思った。
そしてM-V 5号機の打ち上げ。周り中の音を吸い取ってしまったような爆音と静寂。そして宇宙にまで続く噴煙。目の前の光景が信じられなかった。あの小さなペンシルロケットから始まった日本のロケットが、今、僕の目の前で、実にたやすく、しかも自信たっぷりに、宇宙への門をこじ開けたのだ。あの煙の先に宇宙がある。あそこが、僕が行きたい宇宙だ。そして目の前には、それを自分の手で作り上げたやんちゃ坊主達の秘密基地がある。その気風を守り育て、そしていつか自分もまた、そんなガキ大将になること。それこそがやるべき事何じゃないだろうか?そんな風に思った。そして僕も書いた。M-V 5号機の寄せ書きに、今と変わらぬミミズののたくったような字で、自分の名前を書いた。6年後にまた、これを見に来る日が来るなんて事を想像もしないで。

6年前のあの時、もし僕が内之浦に居なかったら、、、能代でのあの学生達の祭典は無かったんだろうな、と思う。和歌山の学生もロケットやバルーンを作ることもなく、ロケットガール達もロケットに触れることなく高校を卒業していったんだろう。あの日の経験が、僕の中の何かを大きく変え、そしてその周りの人間の人生も大きく変えた。今回、内之浦に行って、M台地に立って、寄せ書きを前にして、改めてそれを感じた。ここが僕の第二の原点だったんだなぁ、と。何物でもなかった僕は、ちょっとは何者かになれたんだろうか?それは良くわからない。でも、一つだけ言えることは、M台地を前にして、ちっとも恥ずかしくなかった。やるべき事はやった、やるだけのことはやっている。そんな風に思えた。M台地を作ったがきんちょどもには勝てないかも知れないけれども、でも悔いはない。そんな6年間を送ることができた。そう思った。

帰り道、合併して肝付町役場に移った知人を訪問する。そういえば、、、と、ロケットガール養成講座に参加した生徒の消息を聞いてみた。「彼女、あれからすっかり変わりましてね。やっぱりロケットがやりたい、そのためにはホントに使える英語を学びたいと、この6月から学校を休学して、カナダに行っちゃってるんですよ・・・」うーむ。確実に人生を変えてしまってるな、こりゃ(^_^;
この先、僕の人生には何が待っているんだろう?何人の人が僕の人生を横切っていくんだろう?そうやってお互いに、影響を与え合って行くんだろう?
寄せ書きを見るために部屋に入れてくれた方に、数年後にまた来ます、と約束してきてしまった。ここM台地で、学生達のロケットを打ち上げに来ます、と。内之浦がまたガキどもの秘密基地になる日。ガキどものロケットが再び宇宙への門を開ける日。マツワキのラーメンを啜りながら、この店があのやんちゃ小僧達でいっぱいになる日を想像してにやりとした。つっかけ履いて、地元のおばちゃんとスーパーで立ち話をしていた上杉先生の姿を思い出した。また来る。そんな日が、またやってくる。次ぎに来る日は、その準備のための日だ。そう、心に誓った。

鹿児島で桜島を見ながら、僕は40を迎えた。ケーキもシャンパンもワインもない1日だったけど(いや、ビールと焼酎と黒豚しゃぶしゃぶはあったな)、人生の折り返し点を迎えるには、最高の日だった。いつかまた、この20(×2)の原点を思い返す日が来るんだろうか?その時、僕はどんな気持で思い出すんだろうか?それを捜す旅を始めようと思う。

とても多くの人と出会えました。とても多くの人に支えて貰えました。助けて貰えました。教えて貰えました。どんな言葉を尽くしても、その感謝の気持ちは伝えきれません。ありがとうございました。心から、感謝しています。ありがとうございます。
人生の折り返し地点にはまだ早いかも知れませんが、社会人としては丁度折り返し地点だと思いますが、残りの半分がまた始まります。なのに、まだまだ至らぬ点ばかりだと思います。人生紆余曲折と言うより右往左往。そんな風にも言われてきましたし、きっとこれからもそうだと思います。でも、しっかりと生きたいと思います。また明日、皆様とお会いできることを、お話しできることを、いつもいつも、楽しみにしています。

これからもよろしく御願いいたします。

・20(×2)の原点

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・20(×2)の原点” への5件のフィードバック

  1. Happy birthday!Welcome 40’s!
    秋山さんも40ですか。いよいよ、ますます、忙しくなりますね。「これ以上?」という悲鳴が聞こえる様ですが、40過ぎた男に対して、世間は遠慮がないものなんです。くれぐれも御自愛下さい。
    ご活躍、お祈りしております。

  2. いやほんと、目が廻りますね。とりあえず今日はまだ、飯を食っていません。。。なのに午後にやった集中講義のテーマが「コンセプト弁当作りから学ぶプロジェクトマネージメント」とかいう内容なので、学生が企画のために広げた食べ物の資料を前に腹が鳴りまくりで・・・(^_^;
    またお会いできる日を楽しみにしております。

  3. 自分も40になりました。akiaki先生と同い年とは聞いていましたが、誕生日もすごく近かったのですね。私も負けないようがんばります。

  4. お帰りなさい。
    海外で、さらに経験を積まれてきたのですね。ご無事の帰国、何よりです。お誕生日、おめでとうございます。
    ごんざぶろう先生に負けないように、私も頑張りますよ!

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