いやまぁしかし、あれだ。読み返してみると、ずいぶんなことを書いてるなぁ。考えてみれば、学生は学生で、伊達や酔狂で教員に振り回されている訳じゃないわけで。何言ってるのかちーっともわからないような舌足らずで説明不足な教員に必至に付いてきて、学科の勉強だってあるのに寝るや寝ないやで課題も仕上げてプロジェクトもやって、時には友達との遊びの約束もすっぽかして、彼氏も彼女もほっぽり出して、でも自分が信じれると思うから一生懸命頑張っているわけで。すまん。なんだかすっかり上から目線で。学生にとっちゃ、やっぱりホントについて行ける教員なんてのは、1/100なんだろうなぁ。。。。
秋田で、和歌山で、どっぷり学生達と一緒に過ごさせて貰って。能代では日本中の学生と汗水垂らして。真剣に膝つき合わせてケンケンガクガクやり合って。考えてみたら、僕が20の頃、大人が真っ直ぐ向き合ってくれるような、まっとうな人生を送っていただろうか?大人から見てリスペクトできるような人生を送っていただろうか?思えば、僕が今、考えたり実行してる事って、もっともっと、後になってから、ホントに理解して、できるようになった気がする。
正直、このくそぼけどもがッ!って思うときだって有る。いや、毎日ぐらい思ってるな(^_^; でも、心底、頭を垂れたくなるときもある。すごいよ、って。おまえは立派だよ、って。心から尊敬するよ、って。もちろんそんな簡単に頭なんて下げないけどね :-p だって僕、教員だもんw もっともっと立ちふさがって、目の上のたんこぶになって、絶対越えられない、かなわないと思われるような壁にならないとね。出る杭はきっちり叩き潰して上げないとね。

この間、久々に京大に行った。北部構内で馬術部のクラブハウスに顔を出し、吉田神社の参道で例の怪しげなフォントのアジ看板を堪能し、無秩序の中に秩序あるおんぼろ吉田寮を覗き、思った。やっぱりここが原点だなぁ、と。僕の周りの世界のカオスは、やっぱりここと同じ匂いがしてるなぁ、と。実にいい加減な大学である。そのいい加減さの中で、価値観を一旦ゼロに戻して、教員も学生も職員も、何がホントに必要な秩序なのか、何が本質なのか、それを考える。捜す。学ぶ。教員も学生も職員も、ぎりぎりまで膝をつき合わして話し合う。喧嘩する。議論する。その中で、精一杯理論武装した議論の中で、行動の中で、お互いにリスペクトが産まれる。同じ人間として、真っ向から話し合うことができる。そして世の中を見る目ができる。世の中を変えていける。我々は仲良しクラブのメンバーなんかじゃない。上下関係でも無い。お互いがきっちりと渡り合えるイコールパートナーだと、あの壮大で無駄な四年間で、その糸口を教えて貰えた気がする。

リスペクトできる学生達に出会えることはとっても幸せだ。でも、リスペクトできる教員に出会えることも、やっぱり幸せなことなんだろう。妥協する必要はない。迎合する必要もない。きっちりと、思うことは言おう。そして彼等が思うことを聞こう。そんなぎりぎりの中で、何度でも、何度でも、自分と世界を見直してみたい。
リスペクトできる人に出会えることはとっても幸せなことだ。そしてそのリスペクトできる人からリスペクトして貰えるとしたら、それはもっともっと幸せなことだ。
さて、今年の夏はまだまだ始まったばかりである。がんばろう、お互いに。

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・1/100” への4件のフィードバック

  1. このハンドルネーム使うのは5年ぶりくらいになります。nekomimi_setiとYahoo掲示板で名乗っていましたが覚えていらっしゃるでしょうか?
    本日別のSNSで足跡頂いたので此方まで飛んできました。私は現在神宮丸太町近辺でどういうわけか働いています。ネットワーク関連では有るのですが。
    また読みに参ります。

  2. こう言う事を書いて良いのか如何か分りませんが、「現代萌衛星図鑑」という本をご存知でしょうか?

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