すっかり更新が滞っておりスミマセン。能代イベントの報告をーと思ってたらなかなか、と言うのもさることながら、9/18から3週連続で始まる、ものづくり創造工学センターの新しい企画の準備(中学生が集まらないんです(T_T) 小学5年生〜社会人までok!になってますので、是非御参加くださいっ!)や、センターで新しく整備を進めているCAD室、機械/電気加工室の工事の準備などでバタバタと走り回っており、飯を食う時間もありません。しかしいつまでもいつまでも引っ張っていても仕方がないので、書ける範囲で能代の御報告を。画像等はもうちょっとお待ち下さい。それを待ってたら何時までも書けそうもないので。

既に川島さんのblogや、能代宇宙イベントを最初から応援いただいていた目篭さんのblogでも御紹介されていますが、イベントは大成功でした。もっとも今回は秋田という地で初めてこのようなイベントをするために、”見せる”イベントよりも”見せられるイベントであることを証明する”事に重点を置いていたため、一般の見学者には宣伝不足でもありこちらこちら、またこっちでもおしかりを受けております。スミマセン。しかし能代市の方々、秋田県の方々には、”全国から学生達がやってきてすごいことをやる事が出来る”イベントだとの認識はいただけた模様で、当日御参加いただいた秋田県知事・能代市長からもコメントをいただけて(動画が開きます)おります。

イベントには11大学/組織から総勢157名もの学生達が参加しました。人工衛星の制御技術を競うカムバックコンペ(フライバック部門)、ローバ制御技術を競うカムバックコンペ(ローバ部門)、自前のロケットで宇宙を目指すハイブリットロケット、地上での様々なロケット実験に取り組むモデルロケットの4つの部門が一同に会してこのようなイベントを行ったのは日本では初めてのことであり、参加した学生達も”宇宙に行く”様々な角度からの様々なアプローチを実際に目にすることができたのは、一番の大きな収穫だったのではないかと思います。イベント当日の夜中、2時頃だったでしょうか、突然雨が降り出し、気象レーダによると丁度朝の9時頃が一番の大雨になりそうな予報となっていました。この期に及んでまだ大会の準備なんぞをしていた私は居ても立っても居られなくなって宿舎の山谷公民館から現地に車を走らせて夜を明かしたのですが、朝の6時頃だったでしょうか、東半分は晴れ、西半分は雨雲という奇妙な天気になり、朝日が昇ると西側にこれまで見たこともないような大きな大きな2重の虹が架かり、8時の予定で打上を進めていた東海大学の学生達の作業の手が止まってしまう程の荘厳さでした。その後天気はみるみる回復し、丁度市長・知事が到着する頃にハイブリットロケットの打上がずれ込み、実にナイスなタイミングで打上が実施されて大歓声と共にイベントをスタートさせることが出来ました。協議会の会長である、秋田県立大の新岡先生の御挨拶を戴いた後、市長・知事・文科省の方からも祝辞を戴き、能代宇宙イベントは開始されました。ちなみに僕はこの開会式まではゼネコン時代の作業服に身を包んで走り回っておりました(笑)その後モデルロケット協会の山田会長に午前中一杯マイクを渡して、県知事・市長を始め見学に来た50名の子供達にも次々とモデルロケットを打ち上げて貰い、大型ロケットの打上も入れると全部で100発近くのロケットの打上が行われました。この間が僕的には一番休めましたねー。ホント山田会長のおかげです。感謝します。また見学に来てくれた子供達も大喜びで、とても嬉しかったです。午後に入って競技はローバコンペ、カムバックコンペと移り、この間の僕は久々に高所作業車の操作(実は有資格者なのですw)をしてローバコンペのお手伝いをしたりしておりました。そして大団円。心配していた秋田大学缶サットチームは審査員特別賞を貰いました。最後の方は僕はイベントの準備にかかりっきりで、全然見てあげることが出来なかったのですが、大竹プロマネを中心に最後まで学生達は頑張ってくれました。2回の投下でパラグライダーは見事に展開、パラ班班長の頑張りが証明されました。制御に関しては下から見ているとされていたようにも見えるのですが、制御記録には失敗。しかし参加1年目で見事にパラグライダーの展開に成功したこと、その後の飛行も順調であったこと、制御しているように見えたこと等が評価されての受賞となりました。

夜はこれまで一緒に頑張ってきた能代市の方々、地元の方々、手伝ってくれた僕の友人達、そして全国から参加してくれた学生達、先生達と懇親会が開かれました。自分達の手で宇宙に行くんだという気概に満ちた学生達との飲み会は、それはそれは楽しい飲み会でした。これから毎年、こういう学生達が能代に結集して、そして数年後には日本の宇宙開発の担い手として彼等が飛び立っていくのだと思うと、ホントに嬉しい会合でした。その日の夜は心地よい疲労に包まれて、死んだように寝てました(泊まった旅館で布団も敷く暇もなく倒れ込んだまま寝ていた(笑))。そして翌朝、東海大学の2機目のハイブリットロケットの打上。今度は観客も居なくて静かな打上でしたが、ロケットは何処までも真っ直ぐ真っ直ぐ打ち上がっていきました。丁度1年前、能代市長と話したOctober Skyのラストシーン(8/3参照)のように、青空に上がっていきました。その後、東海大学の学生達と最後の大片付け。全部終わったのはもう18時頃になっていました。全て撤去され、誰もいなくなった原っぱに立っていると、昨日までの歓声がまるで夢だったかのようにも思えてきます。でも夢じゃない、まだ学生達の歓喜と熱気がそこには残っていました。とにかく今年はやり遂げたんだ、という充足感が、沸々とわき上がってきました。ありがとう、本当にありがとう。そんな気持ちで一杯でした。今回のイベントをそもそもスタートさせてくれた秋田放送の神谷さん、能代市議の畠さん、能代市長の豊澤さん。そして実現に向けて一緒に走り続けてくれた戸松課長、藤原さん、佐藤さんを初めとする能代市地域振興課の皆さん。秋田県山本地域振興局の方々、秋田県資源エネルギー課の皆さん、そして実現を許可してくれた地元の方々。実現に向けてずっと応援してくれたJAXA能代多目的試験場の方々。能代多目的試験場での実験の後、有休を使って草刈りや秋大缶サットチームの技術指導までしてくれた成田さん、当日に駆けつけてくれて駐車場の誘導までしてくれた平川さん。当日のイベント遂行の裏方として、モデルロケットの打上準備から映像記録など、何でも屋として頑張ってくれた秋田大天文研究会ロケット隊の学生達。そして何よりも、何よりも、2年前にひょっこり秋田にやってきた僕を受け入れ、あの広大な葦原の草刈り・草踏み倒すというあまりにもばかげた作業の実現に協力し、イベントの運営を最後まで手伝ってくれた、あたり、たれめ、はな、すのー、えいみ、ぶぶかを初めとする秋田の友人達。ありがと。ホント、ありがと。みんなの協力が無ければ、イベントを実現することは出来ませんでした。秋田に来れて、友人達と知り合えたことを心から感謝しています。ありがとう

さて、一回目の能代宇宙イベントが残したものは様々あり、参加した全国の様々な大学で芽を伸ばしていってくれていると思いますが、最後に秋田大学の教官として一言書きます。現在秋田大学のものづくり創造工学センターは、12畳ぐらいの私の教官室しかなく、そこに備品が詰め込まれて学生達が集まって工作したり会議したりしているので、かなーり手狭です。それがこの秋から、CAD室として60人部屋・20人部屋+打合せ室(40人部屋?)の3教室が私の管理になり、20畳ぐらい?の機械/電気加工室も管理下に入ります。機械/電気加工室は軽金属まで加工できるPC制御の3次元旋盤や電子基板作成機、2つの簡易クリーンブースやフライス盤・ボール盤・旋盤なども入ります。通常予算は人が聞いたらびっくりして息がつまるぐらい少ないんですが、今年度だけは文科省の概算要求が通っているので物が一気に揃います。が、その物品購入や教室/加工室の工事計画が、僕がこのポストに就く前、昨年の3月頃までに決められた物で、しかも今回の現場監督?が僕に任されたのがこの8月中旬からで、”既に契約がすんで工事も始まっている”案件にばっさばっさと修正を加えねばならず、大学の事務屋さんや業者さんを相手に大立ち回りを演じざるを得なくなっているのです; まぁつくづく思うことは、ゼネコンに9年も居たおかげで現場の事は大学の事務屋さんよりはずっとわかってるので、”わたしゃゼネコンで現場にも設計にも一通り係わりましたが”とはったりもきかせつつ渡り合うには良い経歴だったか、と(笑)そんなこんなで飯も食えずに走り回っていたりすると、学生が”おにぎり買ったからたべてくださーい”と差し入れしてくれたりして、思わず涙がちょちょぎれそうになっております。教師冥利に尽きます。

またしばらくしたら詳しい報告を書き始めようと思いますが、現在缶サットチームは4つの新規プロジェクトチームが立ち上がっています。また新たに天文研究会ロケット隊がプロジェクトに昇格し、ハイブリットロケットプロジェクトとして活動を開始し始めています。これまで学生達には”成果ではなく、発展的に成果を生み出せるシステムの構築にこそ力を入れなさい”と指導してきたつもりですが、能代イベントまでの経験を踏まえ、一部の学生は僕が一々口出しをしなくても自分でプロジェクトマネージメント手法を学び、考え、新しいプロジェクトで管理手法の実践をするようになっています。新規に立ち上がったハイブリットロケットチームも、缶サットチームからそのあたりの考え方・ノウハウを吸収し、発足後3週間足らずで早くもしっかりとした実験計画・実施・報告書を仕上げています。何故彼等がこんな長足の進歩を遂げ得たのか?それはやはり、能代宇宙イベントを通じて、全国から自分達の手で宇宙に行く気構えを持った学生達に接し、競い合うことが出来たからだと思っています。能代イベントは、確実に秋田大学の中で、学生達に小さいけれども明るい明るい火を灯してくれたと思います。この学生達がこれからどんどんと成長していく過程を見れるのを、心から楽しみにしています。あのとき、能代で彼等の人生は確かに変わったんだと思います。まぁしかし学生達の活発な活動ちゅうのは、今のところは僕の小さな教官室しか使える場所がないため、毎日毎日朝から学生達が10人〜20人も詰めかけてきてすし詰め状態で、一部は外にまでこぼれだして工作なんかを行っている様子はどっから見ても被災地の避難所って感じだし、正直うるさくてたまらないのですけどね(笑)しかし疲れ果てて帰ってきて、彼等の生き生きとした様子を見れるのが今の僕にとっては一番の疲労回復源になっています。

もしも僕がこの4月にこのポストに就いていなかったら、彼等は今頃何していたんだろう?と思ってしまうのはあまりに驕り高ぶっていると自分でも思うんですけどね、ホント。でも、”やりたいことをやりっぱなし”にするのではなく、長期的なビジョンを持ち、戦略を考え、戦術面できっちりと実行していく最近の彼等の成長ぶりを見ていると、こういう学生達の成長を、自分の力だけじゃなくて、ネットでもリアルでも多くの、多くの人達の力を借りながらではありますが、引き出して行けたことは、それはそれとしてしっかりと誇って、もちろん奢ることなく、ですけれども、そして次ぎに進んで行かないと行けないのだとも思います。

僕の現在のポストは、いわゆる任期付き助手ですので後4年半です。僕がこのポストを去れば育ちつつある新芽は育っていけないかもしれないと、今はまだ思ってしまいます。でもあと2年半、僕がこのポストについてから丸3年たったら、その時は僕が居なくてもどんどんと自分達自身で進んでいってくれるような学生達を育てていけることを当面の目標としたいと考えています。まだまだ長い長い、曲がりくねった道のりではありますが、これからも応援いただければ幸いです。

じゃぁ残りの2年はどうするの?と思ったあなた。( ‘-‘ )フフフ、それは内緒です(笑)。いや、もったいぶっているわけでもないんですが、まだまだ構想段階ですけどね。その頃になったら、次の5年間また秋田にとどまるのか、あるいはどこかに飛び出していかないといけないのか、行動しないとダメでしょうから。知人には私の場合人生紆余曲折じゃなくて右往左往と言われておりますが、人生って面白い。

・能代宇宙イベントが残したもの

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・能代宇宙イベントが残したもの” への3件のフィードバック

  1. 今回のイベントのアルバイトをさせていただきました村田です
    ほんとうにお世話になりました。
    文章は苦手なのでどのように表現していいのか解りませんが、
    今回のイベントは自分にとって、とても印象深いものになりました。
    「ひたすら草を倒して、フィールドを作る」
    というのが自分の任務だったわけですが
    おっきな風車の並ぶ、広大なフィールドで
    ぼーーーっと。先の見えない草を永遠と倒していきました。
    久々に感じる【リアルな夏】でした。
    いっぱい人が来て、イベントがはじまって、終わって…
    会場が空っぽになって、だーれも居なくなって、
    まさに【強者どもの夢の後】
    ほんと、楽しかったです
    自分はずっと秋田に住んでましたが、
    自分の仕事では味わえなかった、色々な感情に出会えました
    あの地が、これをスタートとして
    【強者どもの夢のはじまり】になるわけですね。
    楽しみにしています。
    また誘ってください。

  2. おちかれ様〜♪
    任期があったのですね…
    任期満了時 今度はどちらへ
    風ま・か・せ 〜♪

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