「それでいいのだ」という天才バカボンのパパの発言は偉大である、と僕も思う<スミマセン、昨晩赤塚さんの番組見てましたw
でも「それでいいのだ」というのは、「それでいいのか?」という過程を経て、初めて「それでいいのだ」になるんだと思う。

ロケットガール養成講座・缶サット甲子園。そして学生の宇宙プロジェクト。有人宇宙港づくりの前に僕が手がけた、そしてまだ手かげている、学生教育プログラムの基本は、
・設計図を渡さない事。
・チームで成し遂げること
・ぎりぎりまで追求すること、やり尽くすこと
・結果を噛みしめること。それが成功であっても、たとえ失敗であっても

普通に暮らせる。普通に生きていく権利がある。自由を謳歌する権利がある。それが普通で当たり前。しかしその権利は「憲法」が国民に「保障する」基本的人権であり、「憲法」が国民に「保障する」自由及び権利は、「国民の不断の努力」によつて、「これを保持しなければならない」これは日本国憲法11条・12条に明記されていることだ。しかしこの内容を噛みしめる必要がないぐらい、我々は自由に、幸せに、生きている。それが失われることを想像することが、今の高校生・大学生が生きてきた時間の中で、果たして何回あっただろう?いや、彼等の倍近く生きている僕にだって、何回あっただろう?
何度もなかったことが、実に幸せなことだと、心底思う。そして何度も何度もそういうことが会った時代があったことも、書物や映像といった記録から、僕は知っている。少なくとも知っているつもりではある。そしてそれが日本以外の国においては、今、この時間にも存在していることを知っている。知ったつもりでいる。
高校生や大学生を、心底悔しがらせたい。心底喜ばせたい。それがロケットガール養成講座・缶サット甲子園・学生宇宙プロジェクトの一つの大きなテーマだ。嘆き、哀しみ、喜び、衝突し、和解し、あがき、苦しむ。何かにチャレンジするというのはそう言うことだ。何かを背負うということは、そういうことだ。そうやって何度も何度も何かにチャレンジし、鍛えられて、そしてもっともっと大きなモノを背負えるだけにの人間になる。
一敗地にまみれる。そこから何度でも這い上がってくること。泥水を啜り、石を囓っても、立ち上がってくること。そうやって人間は進んできたはずだと思う。

今日もあちらこちら走り回ろう。明日を共に生きるために。

・背負ってるモノが違う

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