「選択が出来る」ということは人間にとってすばらしい能力である。
また一方、そういった『選択』の積み重ねの上に歴史があり、その人の矜恃やプライドが構築されていく。
多少、パラノイア的ではあるが、その矜恃やプライドが次のステージへと人を導くことが出来るのだから、それはそれでやはりすばらしいし、必要なことだと思う。
しかし、時にはそれが反対に人を縛ることがある。
自分の過去の選択を否定することが、自分の築いてきた歴史の否定になることを恐れるがあまり、物事を自分の都合の良い見方で見てしまったり、考えてしまったり、そういったイドラに捕らわれることがある。

また他の人間からしても、それがその人の矜恃やプライドを傷つける事をわかっているので、会えて何も言わない、言えなくなってしまうこともある。
時にはそれを崩すことが重要だと思っても、それをやるべきタイミングを間違える。
もっと前にそうしておけば傷は浅かったのに、、、ということも、多々ある。

一方、それは他人に対する『優しさ』なだけで、自分はそういう気遣いをされたくないし、そういった『イドラ』から自分自身も逃れられないことを知りつつも、なおも出来るだけそこから自由にいようと心がける。
それが正直な生き方だと、僕は思っているし、なるべくそうしようと心がけてきたつもりだ。
どの程度それが実現できているかどうかは『イドラ』に捕らわれている身としてはわからないところではあるのだけれど。

・・・いや、この話には結論はないんだけれどね。
生きるのって、辛い。
でもそうやって、みんな生きてきたんだなぁと思うと、すごいなーと思う。

さて、明日は早朝から、能代の海岸のゴミ拾いだ。
明後日以降に迫った学生のロケット海打ちのために、会場整備に汗を流そう。

今日をしっかり生きよう。
それが明日を作ると信じて。

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