僕の手元に、一枚の紙切れがある。高校3年生の卒業の時だから、もう今から22年も前に書かれた紙切れだ。「あなたに色々と話したいことがあるのだけれども、あなたと私とじゃ、生きている時間が余りにも違うのよ。だからこれだけ、渡しておくわ」そう言われて渡された紙切れだ。

『「若さ」の作り出す間違いがたくさんある。それがだんだんと眼があかるくなって人生の真の姿が見えるようになるのだ。しかし、若い時には若い心で生きていくより無いのだ。若さを振りかざして運命に向かうのだ。純な青年時代を過ごさない人は深い老年期を持つことも出来ないのだ。(出家とその弟子)』

今村歌子さん。今年、87歳。僕が中学3年から高校3年までの4年間、寝食を共にした下宿のおばさんだ。先生なんだけどね。神奈川・静岡・秋田・和歌山と、日本中を点々としているうちにすっかり連絡が取れなくなってしまって困っていたのだけれども、今回、松山で1日予定が空いたので頑張って捜しましたよ。しかしネットってホントに便利。たまたま、篠崎さんがブログに歌子さんのことを書かれていたのを発見して、見ず知らずの篠崎さんにメール。いったい何事?と思われたことでしょうね。スミマセン>篠崎様 事情を説明すると快く歌子さんに繋いでくれました。もう夜遅くの学校で、相も変わらずの学生とのやりとりのなか、悶々としていた時に知らない番号からの電話。「秋山君?」 なんかもう、そのとたんにぱーっと心が明るくなりました。
旧姓、日下歌子さん。戦前の台湾に育たれ、その名前通りの明るく朗らかな人だね、と東京での大学時代に言われていたそうです。戦後、松山に引き上げて来られて、女手一つでご子息を育てながら東雲学園で教鞭を執られたと聞いています。その後、愛光学園の初代田中校長とのお約束とのことで始められたのが「梁山泊」。僕を初め、多くの愛光生・東雲の学生が、彼女の下宿を巣立っていきました。
梁山泊の生活目標。『自由に 規則正しく 思いやり深く 楽しく  そして 厳しく』細則として、「挨拶を身につける」「勉強時間によその部屋へ行かない」。「その他、細かいことは上の目標にそって、どうしたらよいか、自分の良識に照らして判断し、行動するようにします」

久々に会った歌子さんは、からからと笑いながら僕にこう言いました。「秋山君ね、あなた、教えすぎなのよ」
そう、僕が歌子さんに教わったことの一つは、「じっと見守る」事でした。在学中、事件があって、飛びだしていった人を引き留めるべきだと言う僕に、彼女は静かに言ったものです。「でも、飛び出していっちゃったんだもの。仕方ないわよね」。あの時の僕は、どうして歌子さんはアクションを起こさないのか?わからなくてわからなくて、ずっと悩みました。でも、彼女はずっとやってたんですよね。「じっと見守る」というアクションを。「教えて、頭でわからせてもダメなのよ。自分で考えて、自分で気がついて、自分で結論を出して、自分で行動する。その時に初めてわかるのよ」。今回も、彼女はそう僕に教えてくれました。これでも秋山は何も教えてくれないと、秋田でも和歌山でも評判なんですけどね(^_^;  作業に関して指示はしないし、手伝いもしてくれないし、ほっとき過ぎって。もっとほっとくのですか??うーん。まだまだ未熟者の僕には難しいテーマです。

梁山泊時代の後、今村先生が手がけられた「社会福祉法人あゆみ学園」と、「知的障害者通所授産施設あゆみ作業所」を初めて見学。
丁度クリスマスとあって、園長先生が扮するサンタクロースから、プレゼントを手渡されるあゆみ学園の園児達。受け取っている子は一生懸命、「僕、今年はたくさん良い子にしてたよっ!」とサンタに話しながら、とびきりの笑顔でプレゼントを受け取っている。その隣の子は、自分の番がまだかまだかと、飛び出しそうになる気持を、手を伸ばしそうになる気持をぐっと押さえながら、自分の番をワクワクしながら待っている、とっても純粋な表情に、もうびっくりしました。照れ笑いとかそんなのは一切無し。もう、ただ子供の気持ちがびしっと伝わってきます。
おとなりのあゆみ作業所では、丁度、休憩時間。まるで小学校のような大騒ぎの現場。これで仕事できるのかなーと思っていたら、休み時間の終わり頃にはそわそわする男の子。「仕事時間ですよー」のかけ声と同時に、今までとは違った「キリッ」とした表情で、一心不乱にお土産ボックスの組立や、アメニティーグッズの袋詰めを開始する作業所のみんな。手慣れた手つきで箱を作りながら、時々手で異常がないか感覚で確かめつつの作業。その時の彼の表情に吸い込まれました。「僕、今、大切な仕事をやってるんだよ」そんな顔をしていました。
彼の中でどういう風に仕事が理解されているのかわからないけれども、でも、彼の向こうに、『誇り』が見えました。その『誇り』の向こうには、会ったことも聞いたこともない、彼の御両親の姿が見えました。今日、僕、一生懸命働いてきたよ! 彼はきっと、家にその誇りと一緒に帰るのでしょう。両親と語らい、ご飯を食べ、満足に眠る。仕事の充実感とは、まさにそれなんだよな。真っ直ぐ仕事に向かう彼の表情を、しばし時間を忘れて見入ってしまいました。

「歳を取るとね、だんだんと、だんだんと、いろんな物が見えてくるようになってきたのよ。」歌子さんは今回も、僕にそう言いました。にやりと笑いながら、「卒業の時もそんな文章、貰ったんですよ?覚えてないんですか?」と聞くと、「あら、そうだったかしらねぇ。」とまたからからと笑われました。

歌子さん、いつまでもお元気で居てください。もう取り壊されちゃいましたが、今でもよく、中一万の梁山泊の縁側で、日だまりの中でくつろいでいた日々のことを思い出します。小さな小さな家でしたよね。でも、沢山の仲間と過ごすことが出来ました。いろんな事を経験しました。ありがとうございます。歌子さんは「あなたは最初から、今のあなたみたいな人でしたよ」って言われてましたが、でも、やっぱり僕のベースのものすごい大きな部分は、歌子さんに教えて貰い、育てて貰ったことだと思っています。
「教えすぎない」
とっても難しいことだけど、もうちょっと頑張ってみようと思います。僕にもいつか、いろんな事が見えてくる日が、わかってくる日が、来るんでしょうか?それを楽しみにして。そのことを一緒に語り合える日まで、是非、お元気で居てください。また会う日まで。

・教えすぎないこと

投稿ナビゲーション


・教えすぎないこと” への4件のフィードバック

  1.  私は、今村歌子さんに「あなたしかいない」とうまく言いくるめられて、あゆみ学園の理事長をしています。
     お葬式が終わり、自分の園のクリスマスの準備も終わってほっとしたところで、歌子さんの足跡を求めて「今村歌子」で検索をしてみたらこのブログに行き当たりましたので、コメントさせていただきます。私も、歌子さんにいろいろと感化を受けました。あまりに急だったので、お葬式は教会関係のひとがほとんどでした。ブログに少しそのことを書いています。
     

    1. 御連絡ありがとうございます。
      先程、メッセージに気がつきました。
      早くに御連絡いただきながら、失礼しました。
      急なことでただただ驚いております。
      blog、拝見いたします。
      ありがとうございました。

  2. 初めまして。今村 歌子の二男、今村 節(通称がんちゃん)です。今初めてあなたのブログを見つけて読ませて頂きました。実は、先週の金曜日に母が急逝いたしました。16日の午後11時30分です。くも膜下出血でした。93歳、苦しむことなく、安らかな顔でいってしまいました。喪失感にさいなまれながら何気なくネットで母の名前で検索していて、あなたのブログに行き当たりました。梁山泊の皆さんとのおつきあいについては母からよく聞いていましたが、生徒側からの視点のお話に接するのは初めてだったので大変うれしく、感激しています。私は今、愛知県の瀬戸市に住んでいますが、順子さんは松山にいて、最後まで母と一緒にいてくれました。機会があったら、順子さんに連絡を取ってみてください。お元気にお過ごしください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です