今年もまた村田の命日がやって来た。なんだかあっという間の一年だった。考えればあの日の今頃はまだ僕は酔っ払って村田の運転で学校まで運ばれた車の中で寝ていて、この後にあんな事故が起こるなんて夢にも思わず幸せに寝ていたんだなぁとか思い起こすと、なんだかとってもへんてこな気分だ。
彼が居なくなって確かにいろんな事が変わっちゃったし、彼がもし生きていたら、多分今の僕は今のようには居なかったのかも知れない。歴史にifは・・・というにはあまりにあまりに個人的なifだけれども、たぶんそういうのが沢山積み上がって歴史って有るのだろうなぁとか思ったり。
いずれにせよ彼の亡き後も時間は流れ続けており、残された我々はそれぞれの道を歩んでいるわけだ。もちろん、彼の両親や親しかった人達にとっては、まだ毎日が彼の死と向かい合う日が続いている。僕をはじめ彼と親交があった多くの人間にとっては、毎日毎日彼のことを思い出したり考える日ばかりじゃないのもまた事実だろう。うん、でもそれはそれでよい。生きていくというのは、きっとそういうことなんだろう。
ただ、たぶん多くの彼の友人は、今日という日に、彼のことをちらりと思い出すんだろうなぁと思う。一人の人間がどのぐらい多くの人の心に影響を与えるのだろうと思うと、なんだか不思議でもあるしすごいなぁとも思う。
今日はこんな時間(朝の2時過ぎだな)に学校に出てきているわけで、この後朝一で東京に出張で、今日はびっしりアポだらけの1日だけど、まぁそんな日常の仕事に追われながら、いろんな場所で彼を知る連中と共に、ときどきぼーっと彼のことを思い出しながらすごそうかと思う。
明日に向かって。

・年月は巡る

投稿ナビゲーション


・年月は巡る” への4件のフィードバック

  1. 2007年のブログ読ませていただきました。そちらにも投稿してしまいました。すみません。友人と同姓同名でしたのでお聞きします。こちらの村田晃太郎さんはお父様は医師ですか?54年生まれでしたか?秋田大学附属小学校卒業ですか?質問ばかりですみません。まさかと思い、投稿してしまいました。

  2. 今年の能代宇宙イベント、企画と広報に国際教養大学の学生を迎えました。外人の先生も入るので、基本的にミーティングは英語です。(汗)私も頭を抱えながらなんとか意見を発表しています。きのうはPRのコピーを決めました。
    「能代から宇宙へ Never give up」
    震災で被災した地域の方達へのエールの気持ちも込めたコピーとなりました。やる気のある学生がチーフについて、あおられ気味です。
    今年で7回目。どこまで続くか、やれる限りやってみます。村田さんと一緒に見ていた夢を。

  3. ふと思い立ち、村田晃太郎くんをネットで検索して辿り着きました。大阪市在住の西江幸久と申します。小学校時代、秋田大学附属小学校で、村田くんとは吹奏楽でもご一緒しました。彼はトロンボーンでした。最後に会ったのは小学校卒業の時で、秋田と大阪で離れていて全く連絡を取り合っていませんでしたが、数ヶ月前、村田君が亡くなられていたことを知りました。同年代で知人を亡くしたのは初めてのことで、少し呆然としてしましました。村田君とは家も近所で仲良かったのを思い出しています。お母さんが運転する車に学校の送り迎えとかで乗せてもらって、大きな犬がいつも乗っていて、彼がかわいがっていたのもよく覚えています。心よりご冥福をお祈りします。

  4. 御来訪、ありがとうございます。
    村田と一緒に作ってきた「能代宇宙イベント」が、今年もまた8/16より能代市で始まります。
    今では300~400近い高校生・大学生が日本中から集まる、宇宙へチャレンジする大きなイベントになっています。
    今年も僕は8/16から能代にいきますが、普段、和歌山のオフィスの机に置いてある、村田の写真をまた持って行くつもりです。(ちょっと前に、そのまま能代に忘れてくるという失態をしましたが(^_^;)
    人間は、死んだら消えていくんだ、と思っています。
    でも同時に、いろんな人の心の中に、残り続けていくんだと思います。
    故人を覚えている人が居なくなっていっても、大きな時代という概念の中で、人々の中に記憶されていくのだと思います。
    その中で、一人一人の色だとか個性だとか、そういった物も渾然一体となっていくのでしょうが、
    点画のように、一点一点で有ること、有ったことが、生きると言うことなのかなとか、
    色々と思います。
    また機会があれば、是非お寄りください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です