あー。バイト見つかりません。ロケガ参加の女子校生も引き続き募集中です。一生懸命書いてた予算の申請書、また一つ落ちました。うー。(あ、とか書いてたらまた一つ悪い知らせが(T_T)2時間枠の線は無くなりました<わかる人にしかわからんな;)
さて。いつも心に太陽を、じゃなくて、いつも心に錦の旗を持っていることはとても大事なことなわけで、愛光出身のおいらとしては常日頃”世界的教養人”としての自負を噛みしめながら生きて行こうと固く心に誓う毎日です。たぶん。きっと。そうだといいな。ところでこの「心に錦」とか「世界的教養人」って奴ぁ良く誤解の対象となるわけで、それはいわゆる英雄だとか傑出した人物というのとはちょっと違う、というか、一緒でも良いんだけど、むしろごくごく一般の人がそういう信条を持っている社会でありたい、とおもうのです。先日の温泉施設の爆発しかり。看板落下事件しかり。それって誰の責任なんだ?と世の中はわーわー騒ぐわけですが、うん、ある意味それはそれで健全な社会でしょう。でもね、ホントに重要なのは、これらの事件において、”あれは俺の責任だ”と思っている人がどのぐらい居るんだろう?って事じゃないかと思います。例えば工事の実担当者。所有者。管理者。従業員。いろんな人達が、その設置・運用に係わったと思うんですが、その中でどのぐらいの人が”自分の責任”を感じているのだろう?と思うのです。そして僕が危惧するのは、責任を痛感する人の割合って、時代が進む(近現代に限定して言えば、戦後の復興の際絶頂期よりちょっと前?から?)につれ、どんどんと減っていってやしまいか?って事です。文明の衰退がそこから始まっていたのでは無かろうか、と。まぁ『文明の衰退』なんぞあやしげな事を言ってる奴が一番アヤシイ気もしないではないですが、つまりは心に錦を持っている、世界的教養人だと自負している、そんな人が居たとしたら、その人はきっと自分の責任は敏感に感じるべきなのじゃないか、と考えるわけで。そういった人が多数居る社会、それが興隆する文明社会じゃないのかな?と。
一人の英雄が世の中を変えてきたのか?はたまた常民が世界を作ってきたのか。これは昔から意見が分かれるところかも知れませんが、僕はやっぱり常民の歴史が重要な気がするなー。
ってな話しを何でいきなり書いているかというと(笑)、先日学内便で回覧が回ってきた秋田県埋蔵文化財センターの写真がすばらしくてですね、はい。ネットで探したんだけどその映像がないので、スキャナーで取り込んじゃいました。(著作権で怒られそうな気もするのだけどうーん、一応宣伝にもなっているともうので良しとしよう。)いやぁ、実にいい顔してると思いませんか?この土偶達。生きてますねー。縄文時代の人達と、心が通じるなーって感じがしませんか?この土偶。リスペクト、って言葉が一番ぴったりなんですが、心豊かな人達だったんだろうなーと。もちろんその作者の一人一人に関して、もはや我々は何の記憶も持っていないわけですが、でもその人の心に触れることが出来た気がする。そしてこの人達が積み上げた歴史の果てに今、我々が居る。今日もまた1日、生きていこうと思う。そして僕もまた、いつか誰かが、ああ、あれ見てると元気が出るねと、そう思ってくれる何かを、ごくごく日常的な何かを残したいと思う。そんな今日この頃です。

・常民の歴史

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