有人宇宙港を巡る話しが皆無じゃないか、という話しは置いておいて。(^_^;
最近やっているのは「学生による自主的なプロジェクト活動を通じた工学教育」、です。ま、工学じゃなくても良いのですが。これにはどんな意味があるのか?
和歌山大にはWSP(和歌山大学宇宙開発プロジェクト)の他に、ソーラーカーチームがあります。WSPのメンバーの一部は、元々ソーラーカーのチームのメンバーであったことや、現在のソーラーカーチームのリーダーが、WSPに入っていたこともあり、わりかし仲良くやっています。僕自身はソーラーカーチームとは全く関係がないんだけど、そんなわけで良く話しをします。最近の話題は、「なんでソーラーカーなの?」ってのが一つのテーマです。
WSPにしろソーラーカーにしろ、いわゆる「大学の研究室における研究・開発」ではありません。にもかかわらず、何故に大学はそれなりの金を投資して、場所も提供し、様々な便宜も図り、人員も割いてこういった活動を応援するのか?それはちゃんと理由があるわけで、伊達や酔狂でやっている訳じゃありません。一言でいえば、こういった活動を通じて、「任せられる人材作り」を行うことが、目的だと言えると思います。もちろんその過程で、大学の名前を売るというのも重要なテーマですが。しかしその意図が学生に伝わっているかというと、伝わっていないことも多々あります。その辺がわかっていない学生だと、まぁとにかくめちゃくちゃになっちゃいます。「自分は好きなことをやりに来ているだけだから、好き放題やります」って、ホントになるからね。そのたびに「そもそも大学が少なからぬ労力・設備・資金を君達に投下している理由は 云々」という説教になるわけですが・・・これが実に不毛なわけで。だって、そんなことを言われなきゃわからない学生というのは、全然「自主」でも「自律」でも無いわけですよ。怒られるから辞める。怒られないからやり続ける。まぁ行儀の悪いガキどもめ、ってな感じになっちゃいます。
もっとも僕はそういった現状に文句を言いたい訳じゃなくて、それをどうやって越えていくのか?を論じたい。それは学生一人一人に、自分のやっていることにストーリーを持たせること、そしてそのストーリーの中での意味を考えさせることだと、僕は思っています。
ソーラーカーにしろ、ロケットにしろ衛星にしろバルーンにしろ、その工学的な先進性や革新性を追い求めるなら、学生の自主チームになんぞ勝ち目はない、と僕は思っています。指導教官によって導かれる研究室が圧倒的に有利です。しかしながら、工学というのは最先端だけではなく、例えば普及という部分にも意味があったりする。ここの部分は研究室が必ずしも有利とはいえません。そういった観点に気がつけば、もっともっといろんなストーリーが画けると思うのです。
他の大学もみんなやってるからソーラーカーをやる。フォーミュラーをやる。ハイブリッドロケットを打ち上げる。缶サットをやる。キューブサットをやる。もちろん、導入としてそれを最初にやるのは良いでしょう。が、それを始めて半年も一年もたっても、ずーっとそれを何故やるのかを考えずに、アプリオリに受け入れてしまって思考が停止している。これはダメです。UNISECがすばらしいと思うのは、去年やったことを何も考えずに今年もやるべきでないと、明言している点です。今年もそれをやるとしたら、それにはきちんとした理由がないと行けない。そしてその理由は、ストーリーを画けるかどうかにかかっているのです。
これが学生活動の意味合いだと、僕は思います。

・学生活動の意味合い

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