昨日、家に帰ってみると一枚のはがきが来ていた
僕がゼネコン勤務時代、最後に居たトンネル現場で大変御世話になった下請けの方が亡くなったとの連絡だった。呆然とした。
僕は新卒でゼネコンに入ってから7年半近く研究所で内勤だったので、トンネル現場に出されてホント、毎日が右往左往だった。
うちの現場はホント厳しい現場で、所長は1日の8割ぐらいは怒鳴ってるわ、辞める人間続出だわと、まぁ散々だった。
下請けも実力者揃いなので突き上げが厳しく、大変な現場だった。

現場の1日は何百万もの金が出入りする。一つ判断を間違えたら、現場がそれで何日も止まってしまったら、それで何千万かが飛ぶ。そんなことがホントに起こりえてしまう。
でもそこで現場を実際に廻していかないといけない。
経験不足とか知らなかったとか、そんなこと言っても現実に金が消える。
まさにぎりぎりの真剣勝負の現場だった。
僕はホントにあそこで、ものすごく沢山のことを教わった。
もし僕が大学に来て、UNISECで、学生に何かを教えることが出来ているとすれば、それはこの半年弱の現場時代に学んだことがほとんどだと言っても過言ではない。

立場上は監督さんなのに右も左もわからない僕に対して、(JVの方々ももちろんだが)下請けの所長さんと彼と、そして下請けの方々にも、とても良くしていただけた。

ネイティブアメリカンのような、日本人場馴れした顔つき。そして巨体。現場ではまさにブルドーザーみたいな人だった。飲みに行けばこれまた酒量も煙草も多くて、すごい人だった。
そのくせとても優しくて、僕が現場で一人悪戦苦闘していると、めざとく見つけてこっそり助けてくれるような人だった。

僕が現場を辞めて大学に移るときには、もってけやと餞別をくれたんだけど、ありがたすぎてまだあのお金は貰った封筒に入ったままで置いてある。

僕が辞めた後、3年で終わるはずだったトンネル現場は山の状態が悪くて難儀を極めたらしく、昨年末まで実に8年もの時間を要したらしい。
トンネルが完成し、竣工式の後、多分たらふく飲まれたんだろう。
自室に帰られてから、窓から落ちて亡くなられたらしい。
享年53歳
あまりに早い人生だったと思う。絶対に死にそうにない人だったのに。

世の中には沢山の人が居て、沢山の生き方があって、その一人一人のことなんか、全部知ることもないままに、自分自身もまた死んでいっちゃったりするのだろう。
そんなことを何十年も、何百年も、何千年も、何世代にもわたって、我々は繰り返してきたのだろう。
一人一人の人生がどうだったかなんて、同時代の人間にも、ましてや未来の人間にとっては全然記憶にも残らない出来事なんだと思う。
でも冬枯れの山の中で、トンネル掘削の機械音が響き渡る中で、ぽっかりと出来た日だまりの中で、
まるでネイティブアメリカンのように威風堂々と、なんだか映画のワンシーンのように神々しく煙草を吹かしていた山崎さんの姿を、僕はずっと覚えていると思う。

ありがとうございました。
安らかに、お眠りください。

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