僕はへんてこりんな経歴の持ち主ですが、最近では「宇宙教育」をやっている人と認識されていると思います。しかし時系列的に言うと、「宇宙教育」は「宇宙政策」を実現するための手段として実施してきたものです
1996年から「はやぶさ」(当時はMUSES-C、しかもその部品(カメラ)としてのAMICAと呼ばれていました)計画に、1998年から「かぐや」(SELENE)計画に参加していた僕は、その後継計画である「はやぶさ2」にちょこっと、「SELENE-B」 or 「SELENE-2」の計画立案チームとして、7年近く係わってきました。その間にいろんな事がありましたが、私が係わった後、既に5年近くが経過していますが、現在でもこの2つの計画はまだきちんとはしりだしてないですよね?残念なことにこれらを実現するだけの力量が、我々にはありませんでした。(誤解がないように付け加えると、これらの計画はまだ、粘り強く実現に向けて活動が続けられています)
私が自分のメインの仕事としてここを離れたのは、「そもそもこういった計画を通すだけの人材が充分に育っていないのでは?」と考えたからでした。これは計画立案側もさることながら、計画を検討する人材・体制が出来ていない。そのように考えたからです。
たとえば今でもよく思い出しますが、中国が月計画を立案してきたときに、僕は「インドと組むべし!」とすぐに考えました。しかし当時の日本では(いや、おそらく今もですが)、中国やインドの宇宙政策・それを遂行している具体的な人物に関して、十分な情報はありませんでした。文科省の担当課長に聞くと「その分野はNASDAの国際部が担当している」と返事が来るし、NASDAの国際部は「その情報は文科省にある」といわれる状況でした。(いや、体よくたらい回しにされただけかもしれませんが)
「状況を分析」し、「自己の責任で判断・遂行できる人」を育成すること。これが急務だと思いました。丁度その頃、中須賀先生をはじめとするUNISECの先生方が進められている宇宙教育を知り、急速にその方面に舵を切った次第です。
僕の学生教育に関するスタンスは、ここでも何度も書いていますが、「人材育成」がメインで、そだった人材の就職先までは考えていません。むしろ自分でその道を切り開ける人を育てたい、そう思ってきました。当時から僕の頭の中にあるのは、「幕末の腕に覚えのある浪人が闊歩する京都」でした。我々が推進する宇宙教育を体験し、それなりの人材が育ってくる。しかし世の中に出てみればいかに責任回避をするか、いかに自己の生活を守るかをメインに考えてしまっている社会が待ち構えている訳です。学生時代は教員が活動できる場を用意していたわけですが(学生は気づいてないかもしれませんが)、就職の時に全然宇宙関連企業なんかに就職できなくて、他の業種に就職するしか無くて、それでも何とかしたい。何とかしよう。そういう人材を育てたい、というのが目的でした。
またもう一つには、これも学生には常々言ってることですが、我々にはやはり、年齢層に応じた役割があると思っています。彼等が社会に出て仕事を覚え始めた頃に、いきなり我が国全体の宇宙政策を変えていこうとしても、やはりそれはかなり難しいはずです。その段階が来たときには、僕をはじめとする年長者は、それぞれの立場で動かすべき部分を動かしていく必要がある。そのように考えてきました。そういう意味で、僕にとっては学生は、最初から「イコールパートナー」でした。自分が将来、政策論を考えたとき、その実現のための一番の実働部隊となる人達。それが彼等の年代でした。2003年から宇宙教育を初めてはや7年。いよいよその時期が来たのかな?というのが、現在の状況です。
もちろん外部的にもいろいろな要因があります。宇宙基本法の施行・宇宙基本計画の制定・アメリカの宇宙政策の変更。これらを横睨みしながら、「そろそろ真面目に、長期ビジョンにもとづく戦略的な宇宙政策の立案を行うべき」と考えたのが、ちょうど2年ほど前でした。そのあたりからかなり政策論を考えてきました。それが、今、僕が宇宙政策を考えている理由です。

・何故僕が宇宙政策を考えているのか?

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