僕が大学で教員などと言う仕事をしているときに、なんだかなぁと思うのは大体がこのあたりである。「教員が提供すべきサービスは何処まで?」
第一義的に考えてみると、「教員」の「サラリー」は、大学から出ている。その大学の収入の多くは「学生」から集めた「学費」であり、また残りは「税金」として集められて「国家」によって再配分された「交付金」であり「競争的資金」である。また教員が独自に集めてくる「寄付金」もある。これらスポンサーのことを考えながら、教員としての義務、すなわち「教員が提供すべきサービス」を考えてみる。ちなみに教員のもらう給料なんてそんなに多くはない。もちろん、少なくもないけどね。
これを定量的に言うとすれば、「週40時間の労働でまかなえるだけの仕事」と言えるだろう。基本的には我々は「裁量労働制」であり、勤務時間帯は比較的自由に調整しながら、週40時間程度働くというのが基本だからだ。じゃ、週40時間で出来ることはどのぐらい有るか?だけど、これはそんなに多くない。これは実際の教員の勤務時間を考えたらわかるだろう。例えば僕は、ここ最近土日が休みだったことなんて無いし、夜も午前様がしょっちゅうだ。とすると、僕のやっている仕事のほとんどは、「教員が提供すべきサービス」を逸脱して供給されている、と考えるべきであろう。(いや、もちろん、僕の処理能力が劣っていて、普通の人なら40時間かかることを80時間かけているのじゃないの?という考え方もあるだろう。ま、それに対する反論のすべは僕には無いけど、それは僕という人間を知っていてくれたら、さすがにそんなことはないよ、と思って貰えるだろうと言うことでここでは割愛。)
おそらく僕は、本来であれば「提供しなくても良いサービス」をかなり提供している。そのモチベーションは何かと言われれば、それはおそらく「学生」という顔の見えるスポンサーに対する責任ではなく、「国家」を通した「納税者」、すなわち日本社会全体に、そしてもっと言えば、日本を通した人類社会全体に対する責任として、提供をしているのだとおもう。ぇ?大きく出たな、おまえ、だって?(^_^;
でもまぁ実際のところ、そう思うから色々とやってこれる部分が多いのは、僕の中では事実である。個人が追求する幸せは重要だけれども、それ以上に重要なことも世の中には有る。そしてそれに貢献することは意義がある、と思えるからやっていける。そんなところだ。
ところが、だ。僕がうんざりするのは、「自分が(そのホントは過剰になっている)サービスを受けるのが当然」だと思っている学生を、まるで托卵されたひなを一生懸命育てる鳥みたいに一生懸命育てていたことに気がついたとき、だ。「Noblesse-Oblige」等という思想が皆無なんだと思い知らされたとき、、、、とりあえずうんざりする。そして何もする気がなくなる。そんなところだ。
いかんいかん。きっとまた、「そんなん許されへん」的なカトリック的思考に陥ってるのだろうなぁ。。。。
でもホント、良くわかんないです。社会人同士なら、別に「そんな人とは仕事しない」だけで済むんですけどね。いやはや。

・サービス業としての教員

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