はじまりはじまりと書きつつ、話はそのちょっと前に遡る。あれは年の瀬も押し迫った昨年末、センター長から”うちの助手のポスト、応募してみる?”と聞かれたのがそもそものはじまりでありました。当時非常勤研究員で、学部が林産出身というのを買われて炭焼きに明け暮れる毎日だったんですが、その片方でせっかく秋田に居るんだから、ペンシル50周年の来年にはなにかやりてーものだ、と、いろいろと準備を進めておりました。まずは的川先生にも相談してみましたが、JAXAも統合したばかりだしロケットの打上失敗やなんやかんやでばたばたしてるので当面動けないから、まぁ地元で盛り上がれるなら盛り上がっちゃってよ、といわれてしまいました。トホホ。(でも”僕の名前使って上手く進むんだったらどんどん使ってくれて良いからねー”とも応援いただいたんですけどね、ホントは。しかし、これが後ですごく重要な役割を果たすとは。。。当時の僕は全然知らなかったわけすが。神に感謝。ってか、的川先生に感謝)

んじゃぁ盛り上がってみるかとちょこまかと動き回っていたところ、まず松浦さんの掲示板で秋田放送の記者さんとお知り合いに。んでもって記者さんと飲みにけーしょんを深めながら、”いやぁ来年秋田でイベントをやりたいんですけどねぇ”とおそるおそる持ちかけたところ、”ぼかぁ宇宙大好きなんですよ。新婚旅行もケネディー宇宙基地に行きましてねっ!”と当時の(らぶらぶな)アルバムなど見せていただきながら、ムムム。すっかり酔ってますな、記者さん(^_^; しかしまぁいろいろと写真を見せて貰いながらすっかり盛り上がりました。そんな飲みにけーしょんが、1週間もしないうちにこんな結果を産むところがオヤジ飲み会の怖いところで。。。。

1週間後。そもそも秋田大に僕を呼んでくれた先生が、阪大に転勤(独立行政法人になったから転職ですな)して実験装置の立ち上げやら何やらで手を貸して欲しいと言うので、大阪まで出張に行ってた時のこと。記者さんから電話が。”あーもしもし?先日の件ですけどね、能代市長が御興味をもたれて是非お会いしたいと。来週月曜日でどうですかね?”なんですと?? びっくり。飲みにけーしょんの重要性、わかりました?>学生諸君(まぁそんな棚ぼたな出来事なんて、人生の中で何度もある訳じゃないですけどね; そんな期待をしてるとこんな事はおきません(笑)無欲の勝利ですw)
何はともあれ企画書もどきをでっち上げて(今読み返してみたら全然企画書の体をなしてないでやんの)、おっかなびっくり能代市長に会いに行ったわけですが。。。。<だって市長さんなんかに面会したのなんて人生で初めてですって。

会ってみると穏和な感じの市長さんでした。僕が説明するより何より早く、市長が開口一番、”『遠い空の向こうに』って映画がありましたけど、あれを能代でやりたいって事でしょ?子供の教育に良さそうですねぇ。是非やってくださいね!” ぇ。今、人生すごいラッキーな時期なのかも、俺。 『遠い空の向こうに』っていうのは、ちょっと前に上映された映画で、見てない人は今すぐ見ましょう。炭坑町に生まれ育った子供達が、自分達でロケットを作っちゃう話なんですけどね、すごいはしょって言えば。そこにスプートニクの打上や炭鉱事故や、恩師との出会いなんかも絡みつつ一大ドラマとなっているわけですが、実はこれ、実話がベースなんですな。その後少年はNASAに入り実際のロケット開発に携わり、と、宇宙好きには溜まらない映画です。市長さんは教育畑出身と言うことで、ロケットやCome Backコンペの教育的側面がお気に召した模様でした。しかしあの映画を見ている市長さんって。。。少なからず感動。

その後も東海大学の学生ロケットチームの面々、UNISECの衛星作りをしている学生諸氏、モデルロケット協会の会長との出会いなど、話はトントンと進んでいき、何とか能代でイベントが出来そうだという雰囲気にまでこぎ着けられました。しかし私は秋田大学の一介の非常勤職員。来年はどーなるかわからないし、地元大学としての受け皿にもなれないし、はてさてどーしたものかと思っていたところ、冒頭のセンター長のお言葉があったわけです。
このセンターはその年の秋に立ち上がったばかりで、ものづくりを通じて学生教育を行い、地域連携を図っていこうという主旨で設立されており、まぁ考えてみると能代イベントはセンターの主旨にも合致しているしセンター長から僕のそれまでの働き具合を見て、”うむ、こ奴は使える!”と思っていただけたのでしょう、きっと。僕の方としてもこりゃ渡りに船な話で、それじゃ応募させていただきますっ!!と飛びつかせていただきました。それから3ヶ月、厳しい審査に耐え、何とか4月1日の着任を迎えることが出来たわけですが。。。。それには影に日に、センター長を初めとするセンターの教官の皆様の応援があったからこそ、というのは間違い在りません。大学の先生になるのって、ホント大変と実感したこの3ヶ月でした。そんなわけでいよいよ物語が始まるわけですが、、、

その前にもう一点、僕が出会えた幸運な出会いのお話が必要でしょう。秋田大学は残念なことに宇宙とはまーーったく関係なく進んできたので、能代イベントを進めるにあたって、顔となれる人が居りません。まぁ事務は僕がやるわけですが。さてどーしたものかと思っていたら、これまた例の記者さんからお電話が。”こんど、秋田の電子工業会でロケット関係のお話を県立大の先生がされるようですよ”、と。調べてみるとこの県立大の先生、昨年6月に東北大から来られているのですが、ご経歴を見ると。。。。うーむ、宇宙畑でかなり御高名な先生じゃないですかっ!!早速東北大の知人に、”どんな先生なんですか?”とメールで聞いてみたところ、早速お電話があり、”国際宇宙大学への学生派遣などでも先頭に立っていただいた先生で、今回の能代イベントを御願いするにはまさにぴったりな方ですよ”とのこと。そこで早速コンタクトを取り、イベントの主旨を説明し、最後におずおずと”会長に御就任いただけませんか・・・・”と御願いしたところ(3ヶ月ぐらいじっくり時間をかけてから、ですよ、もちろん)、”忙しいからダメ”といったんは断られてしまいました;無念。でもやっぱり会長を御願いするならこの先生しかいないっ!!と一生懸命御願いして、何とか引き受けていただけることに成功。とかかくと県立大の先生が乗り気じゃないように思われるかも知れませんがそんなことは全然無いんですよ。その後もスポンサーへのコンタクトとか、県への交渉とか、実にアクティブな方です。

そんなこんなで大会への準備はすっかり整った、と思っていたわけですが、、、、こんな伏兵が隠れていたとはっ!!<ってか、僕の読みが甘すぎただけなんですが; そのお話はまた次回にすることに致しましょう。って、衛星作りの話しになかなかいかねーな;

・そもそものスタート

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