大学にいるという話しをすると、”何の研究をやってるんですか?”といわれる。まぁしいていえば、学生の生態の研究やってますけどね(笑)<今の隣の床で寝ている学生が一人。マジックで落書きするぞ、ホント。
「大学=研究機関」これは、現在多くの日本の大学が抱えるイドラだろう。しかし、博士が100にんいるむらが真実を伝えるように、この世に研究者なんていうのは実はそんなに必要なかったりする。100人の大学卒業生の中で、せいぜい2人か3人が研究専属で、あとの10人ぐらいが開発・研究従事で、残りの90%近くはそれぞれの生産現場で指揮を執る、そんな人員配分が適当ではないのか?と思う。しかし「大学=研究機関」というイドラに縛られた日本の大学では、”先生のやる研究を、見よう見まね・手習いで学生が学ぶ”システムが延々と継続されている。確かに、研究室制度の下、良い研究者と生活を共にし、知識や技術のみならず思想まで学ぶ事により、理工学のなんたるかを学ぶことは可能だと思う。しかしそれは、極一部の人間が大学に進学していた、ある意味エリート教育として大学が存在していたからこそ可能であったシステムではないのか?と良く思う。大学全入時代を迎える現在、この徒弟システムが以前のように機能しているのか、僕にははなはだ疑問である。
一方で、大学はJABEE等の”規格化”制度を取り入れたり、様々な資格取得を学生に勧める活動を熱心にやり始めている。これはある意味、先の僕の疑問に対する大学としての一つの答えで、”○○先生に指示して理工学の神髄を学びました”等という形のないものではなく、”私は○○資格を持っています”という、分かり易い成果物を手にした学生を養成する方向に流れていることの示唆であろう。しかし、この考え方にも僕は反対だ。資格を取りたい。技術を取りたい。それなら、それを専門に、深く学べる専門学校に行くべきだ。大学で広く浅く学んだ知識が、現場で使える技術には決してならない。企業は大学での人間を再教育しないと使えないが、ある種の技術や知識に特化して学んできた専門学校の生徒は、まだ即戦力として使える可能性がある。
我々は、専門学校ではない大学卒の人間に何を求めるべきなのか?そして教員として、何を教えるべきなのか?これはとても難しい問題だ。しかし、日々、その答えを体現し続ける義務が与えられている。大学としての公式見解ではないが、僕の意見は”プライドを持った理工学者を育てる”事である。
日々、様々な事件が起こる。その中でも、柏崎原発の地盤に関連する事件、東京での温泉施設の爆発事故等、理工学の知識や見識が問われる事故・事件も多くある。これらの問題に際して、”僕は悪くない”と考える理工学者は沢山出てくる。例えば柏崎と離れた秋田にいる僕は、柏崎の地盤の問題に関して”僕の責任じゃない”と考えるのは、まぁ当たり前といえば当たり前だ。(もっとも柏崎には、社員として、僕の高校時代の同じ下宿の友人が勤務している。彼の心労を考えると居ても立っても居られなくなるが。)しかし、ホントに関係ないのか?科学技術立国日本を支える一人の理学者として、また現在、理工学者を養成する教員として、僕は本当にあの事件に関係がないのか?
”プライドを持った理工学者”というのは、こういう事だと思う。ある事件・事故に対して、”自分がその事件・事故に対して何が出来ただろう?また何をするべきだったのだろう?”と考える理工学者のことだ。それは他人事の事件ではない。自分が取り組んで、解決していくべき事件・事故なのだ。その為に今日、そして明日、我々は何が出来るだろう?そう考える理工学者は、大学でしか育てることが出来ない。それは専門学校で技術や知識だけを学んだ学生に出来ることではない。大学が専門学校よりも時間をかけて、学生を養成する意義はそこにこそある。僕はそう思おう。
世界的教養人たれ」というのは、僕が中高を過ごした母校の校訓であった。世界的教養人がなんなのか、それはとても難しい問題だ。しかしその問いかけを常に自分にしつづけること。そしてそう言った理工学者を育てていくこと。それが今のポストにある僕の義務だと思っている。

>工学教育とは?

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3 thoughts on “>工学教育とは?

  1.  はじめまして。電気メーカーで研究・開発をしている者です。
     まず、イドラなんて言わないでくださいよ。「高度な教育は、最先端の研究者にしかなし得ない」ことは現実としてあって、それが大学に求められているということなのではありませんか。
     確かに、そういった教育が修士や博士課程にシフトしつつありますが、院への進学率も高まっている訳で。
     また、企業側の要望として、単なる職業訓練だけを済ませた技術者(の卵)では不十分、ということがあります。なにせ技術の進歩が速く、使うツールにしても5年もすれば全く変わってしまいます。そのため、もう一段広い視野をもって、現在の技術やツールの根本を理解し、将来にわたってついていける、願わくば引っ張っていけるような人材でないと技術者として一人前になりません。実際、入社面接でも資格は関係ないですね。
     “プライドを持った理工学者”ってのには全面的に賛成しますが、職業訓練校でも“プライドを持った技術者”などなど、を育成することを求められているんじゃないのでしょうか。“プライドを持った”はそれぞれに求められていて、大学には“理工学者”のところにウェイトが置かれるんじゃありません?

  2. 今日から夏休みです。夜更かししよう。
    私は、今大学4年の息子にあり余る時間をプレゼントしたくて高い授業料を払って大学行かせています。なにせ時間はいっぱいあるから…自由に選択できる時間が…自分の責任で。この無駄とも思える時間がこれからどんな人として社会をつくっていく人になるのかを意図していなくても考える時間になっているようで意味あるものだと思っています。
    この年代にakiakiさんに出会えた人は幸せだね。うちの子も、幸せな出会いがあって、色んな人に育てていただいて、関わった人たちから色々を感じて学んで、それを傍で見ている私は親の幸せもらっています。
    先生っていうお仕事は、この世の中で最も尊いお仕事だと思います。子どもが可能性という命をもらって、先生の生き方から人生を学ぶのですから。また引かれると思いますが、素晴らしいです。
    この前のひまわりの写真があまりにもきれいだったので、ただお礼がしたくてメールをしたのですが、また長くなってしまいました。暑い毎日ですが、お元気でお過ごしくださいね!

  3. yebisu500さん、お返事して無くてスミマセン。
    色々と考えさせられるコメントでした。
    大学がどんな工学教育をすべきなのかに関しては、大学と企業とで、一度じっくり話し合う必要があると思います。
    来年3月頃に、そんなフォーラムを開催したいなぁと現在企画を練っているところです。

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