どこかで書いた気がするんだけど、日本の現在の教育は、大学でも、そしてひょっとすると大学院ですら・・・・spoon feedingである。
学生の目の前にご飯を持っていったらぱくっと食べるけど、持って行かないと食べない。ご飯を捜す気力もない。それがspoon feedingな教育。(まぁ現代的に言えば、ネットでちょっと検索掛けて調べて、それで餌を探した気になっているのも、程度の差こそあれspoon feedingかなぁ。。ネット検索に(すべての)答えがあると思っているようでは全然ダメダメだし、そう思って無くても調べてるふりすることで更なる餌を期待しているだけだから。ま、そもそも検索すらしないのとする(事だけに留まっている)のと、どっちが良いのかといわれれば、どっちもダメダメなんですが。)
何でそうなのかと考えると・・・。多分これって、戦後の誤った方向での「個人主義」の結果なんだろうな、と。
「自分はもう絶対的に大切な存在なんだ。」という誤った方向の認識が、「餌を持ってきて貰って当然」っていうspoon feedingを産んでいる。じゃ正しい方向は?

哲学の第一原理というのがあって、すなわち、「我思う、故に我有り」って事。でもこの第一原理を誤って理解すると、「思っているのは我だけ」になる。必要条件と十分条件の理解の無さがこんな誤解を産む。
誤った方向の個人主義の認識をどう変えればいいかというと、それは「とても大切な(他の)個人に、自分はいったい何が出来るのだろう?何をすべきなのだろう?」と考えられるようになること。個人主義が唱える個の尊厳は、実は自己の尊厳(だけ)じゃない。むしろ他者の尊厳でもあると理解すること。秋田大で我々がやって来た、「教育指導体験」というのは、もちろん最初からこんなロジックが完成していたわけではないけれども、基本的にこの考え方に沿った手法なのだ。
spoon feedingされる方じゃなくて、する方に廻ること。そしてされている方が、する方に廻ってくるような、そんな手法。それが必要だ。

・spoon feeding

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