遅れていた仕事を片付けていたらもう4時。明日は10時にはテレビ会議があるから早く寝なきゃいけないわけだが。
諸葛亮孔明。隆中にて隠遁していたため、司馬徽には「臥龍」と称せられた人物。劉備元徳に三顧の礼で招かれるまでは、晴耕雨読の日々を送っていたという。劉備に招かれて、天下三分の計を披露。実は三国志の屋台骨は、この諸葛亮孔明が頭に描いた世界だったわけです。

で、なんでこんな話しをするのかと言えば、これ、すごく嘘っぽい。そう最近感じるからです。
僕は歴史家でもないのでどこか間違った認識があるのかもしれませんが、一番目の疑問は、何故、諸葛亮孔明はかくも明晰に中国社会を分析することが出来たのか?ということです。今のようにテレビもラジオもない時代です。もちろんネットだってありません。しかし孔明は、魏の曹操も呉の孫権もよく知っていた。彼等が何を感じどう動くのか?それも見切っていた。だから天下三分の計が考え出せたはず、です。でも、彼は隠遁生活を送っていたという。じゃぁその情報はどこから?僕には孔明が、独自の情報網を中国全土に張り巡らせていたとしか思えないのです。
そして三顧の礼で迎えられるまで、隠遁者として暮らそうとしていたというのが二つ目の疑問。
この日記の最初でもある宇宙関連のニュース日記。あの当時、秋田で隠遁生活を送っていて、新聞に載る宇宙関連のニュースを読み解き、記事を書くという作業をしていた僕は、、、うん、とてもむなしかった。世の中で起こる出来事の原因や理由が推測できたのに、それを世の中に反映させて、自分が作りたい未来を作る事が全然出来ない事に、いらだちさえ覚えてました。もう辞めちゃおうか、と思ってました。もし、ホントに孔明が世の中を捨てて隠遁生活を送ろうとしていたとしたら・・・彼は世の中の分析なんかに未練が無かったと思うのです。いつか、自分の考える世界を実現できると思ったから、情報を集め、分析していたのじゃないのか?そうとしか僕には思えないのです。

隆中にまさに雌伏し、巨大な情報網を操り分析を繰り返し行い、自分が主と仰ぐ人物は劉備しか居ない。いかにして劉備に自分を口説きに来させるか?そこまで考えていたはずだと、僕は思うんですけどねぇ。。。。
勘違いですかね?僕には至極当然な結論に思えるのですが

さて、寝ないと。おやすみなさい。

・諸葛亮の嘘

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