「沈黙」は僕の人生を変えた本の一つだけど、その中にこんな一節がある。パードレが根付かせようとしたキリスト教が、実はこの温暖多湿の日本の風土の中で、ぐずぐずと根っこが腐っていってしまって、もはやキリスト教徒は言えないようなものに変質して言ってしまっているのではないのか?という幕府のお役人の問いかけである。

李登輝元総統が「私は22才まで日本人だった」と語っているのは有名な話しであるが、その彼が良く「日本精神」というタームを使っているのも、これまた有名な話しである。彼の言う「日本精神」とは何か?一言で言えば、「公に奉ずる」精神、ということなんだろうか。こちらで、彼が慶應で2002年に行うはずだった講演原稿が読めるが、そこで八田與一氏に関して語られている。彼はいわゆる「技術官僚」であるが、自らの信念に基づき、存分に手腕を発揮している。
しかし、もし彼が現代の官僚であったならどうであろうか?「政策は政治が決めるから」と言われて立ち往生したかも知れない。またやるべき仕事はビックビジョンを描くことではなく、例えば「どのタイミングで大臣に説明をして、どのタイミングで他省庁との調整を行って、どのタイミングで総理に説明をして閣議にかけて。。。」と延々と続く調整作業に振り回されていたかもしれない。そして「官僚は公僕なんだからっ!」とタクシーチケットの使い方一つにまで細かくチェックされ、死ぬほど働いても「残業代が多すぎるのはおかしいんじゃないか?」とか痛くもない腹を探られ、、、なんのために、誰のために、俺は働いてるんだ?という自問自答に陥っていたかもしれない。

日本の国民が悪いのか?国の制度が悪いのか?それはホント、良くわからない。確かにサボタージュしている人達が居るのかもしれない。責任回避ばかりに明け暮れてしまっている現状に気がついていない人が居るのかも知れない。しかしいずれにせよ、一つ言えることは、ひょっとして、我々はどんなにどんなに一生懸命やっていても、地面の下では根腐れが始まってしまうような泥沼の上に生きてしまっており、どんな改革も理念も腐ってしまう。そんなどうしようもない状況の中でじわじわと窒息するのではないか?そんな恐怖にすら襲われる。

宇宙局でも宇宙庁でも何でも良いんだけど、「日本の宇宙政策全体を見る(調査・分析・政策立案する)ことが出来る」部署を作り、其所に予算権限を一元化しても、おそらくそれだけでは十分ではない。必要なことは何か?それは、まさに僕がいつも学生に言っていることだとはっと気がつく。形が重要なんじゃない。その根底に流れる「精神」こそが重要なのだ。その組織を構成する一人一人の、そしてその組織のトップの「精神」こそが、重要なのだ。
もちろん、そういった「精神」がきちんと成果を発揮できる体制(形)は重要である。しかしおそらく、今の「形」でも、実はある程度のことは出来るはずなのだ。

『日本の宇宙開発の在り方を変えるために宇宙庁を創るってどう思う?』と聞かれて、『長官になる人が浮かばない。だからそんな組織を作っても意味がないと思う。』と応えた貴方。その答えはまさに真理を突いている。

有識者会議は日本の宇宙開発の在り方を変えるために、その体制に関して議論を今後進めていくのだろう。しかしどんな体制になろうと、おそらく、その体制を担う人達の80%以上は、現時点で日本の宇宙開発の体制の中で活躍している人達なのだ。この一人一人の『精神』が変わらないと、日本の宇宙開発は変わらない。やるべき事は、体制を変えると同時に、この人達の「精神」の向かう方向が変わるような方策が必要なのだ。減ったとはいえまだ7000人近くが従事している宇宙機器関連産業の中で、誰一人、現状を変えうる「長官候補」が思い浮かばないような状況が、一番の問題なのだ。

まずはお互い、語ろう。現状を認識し、世界を認識し、そのなかで我々が何をすべきなのか、何をしなければならないのか、何を賭けなければならないのか。それを語ろう。一人が倒れても、また別の一人が立てるような、そんな未来のために。
そしてそれが結果として、「日本精神」と言われるものではないのか?僕はそう思う。

・精神の問題

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