昨日は台風とのことで、16時には暴風警報も出たので学生をさっさと追い出しました。うーん、ホント、学生居ないと静かで仕事が捗るんだよね(笑)だいたい夏休み明けの10/1の感想が、「学生大杉っっ!居なくなればいいのに!」とかいう、教員にあるまじき物だったし(^_^;

ところで教員の仕事って何だろう?大学の先生というのは高校までと違って、教員免許なんて持ってない。もちろん教え方だって教わったことはない。んじゃ、教え方に迷うかと言われれば、そんなこともない。しかして「間違ってる!」とか非難されても、それに対する反論は自分の信念しかない。この御時世に於いて、寄って立つ物無し!というのはホントとんでもない話しではある。まぁ早晩、面倒なことをやる教員はどんどん減るんだろうなぁ。批判ばかりされている官僚が、ますます官僚化していくのと同様に。

僕にとって教員の仕事とは、まずは「観察すること」かなぁ。これは僕が理学の博士だから?と言う気もしないではないがw、でもまぁこれがホント基本。その人間の精神構造を観察。その人間と周りの人間の関係を観察。もっとも問題になるのが、まさに「観察という行為が対象に影響を与えてしまう」という、現代物理学の抱えるのと同様の問題。まぁどうせこれは後で大なたを振るうから、対象が変化してしまうことは多少は良いんだけれど。しかし一番の問題は、その対象の微妙な変化が、観察によって得られる結論を、微妙に誤らせる事があること、かな。

そして次の仕事は、「壁になって立ちはだかること」。このとき、僕個人が立ちはだかるんじゃなくて、物理法則であったり社会であったり、個人の感情とかでは左右されない、冷たい方程式に対峙させること、かな。往々にして学生は立ちはだかっているのが僕個人と間違えるんだけどね。もう7年近く、教員生活を送ってるわけだけど、一番の感想は「掛け金の少ない賭けは何ら成長を産まない」って事。ぎりぎりまで自分を追い詰めて、ぎりぎりまでみんなで挑戦して、それで初めて、成功しても、失敗しても得る物がある。成長することが出来る。

最後の仕事は、「ほっとく」。良く学生が僕の所に御願いに来たりするんだけど、そう言うときは基本、ほっとく。僕が強権発動して上から何かを決めたりさせたりすることに、いかほどの意味があるのか?それをじっくり考えさせる。チームで問題があるなら、自分達で話し合わせる。規則はアプリオリに存在するという誤った概念を、植え付けられてしまった奴隷根性を、心の奥底から徹底して追い出す。人を動かせるのは自分自身の真摯な言葉と気持だけだと言う事を、最終的に物事を決めるのは自分自身の価値観だと言う事を、わからせるためにほっとく。まぁ、泣け、わめけ、ですな(^_^; ほっとくけど、とことん話しにはつき合うけどね。まぁこの苦労と言えばホント・・w

で、気がつけば学生達はどんどん巣立っていく。寂しいかと言われれば、、、寂しいですよ(笑) でもまぁ、教員としての僕を通り過ぎることは、教習所のシミュレータみたいなもんですからね。そんなシミュレータにいつまでもつき合っていても路上では走れないわけで、さっさと行け、ですけどね。

「日本の学校教育は、金八先生がダメにした」というのは、「ザ・中学教師」の根底を流れる思想だと思うけど、うーん。実は今の僕を振り返ると、あの映画の存在は大きかったんだろうなぁ。もう十数年近く前に一度だけ、レンタルビデオで見たっきりなのに。また見てみようかな。

・教員の仕事とは?

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