そんなこんなで空き缶衛星の製作に取りかかり始めた訳だが、1年生から修士の1年生まで、年にして18〜23の学生達につき合って、毎日毎日連休も無しに夜遅くまで(学生は朝は遅いw)教官室に籠もって仕事をしているわけですが。そうか、彼等は18なんだ。
2浪してようやく大学に入った20の僕は、18の現役連中達と一緒のクラスになった。もっとも入学早々、馬術部なんぞに拉致監禁されてしまった僕はほとんど授業にも出ず、毎日毎日馬と戯れて過ごしていたんだけど。でも最初に何故か自治委員長なんぞに選ばれてしまっていて、クラスの行事もホントはやらなきゃいけなかった。でも体は一つしかないからさぼり倒しましたけどね(^_^; そんな僕に変わって生協委員だった高辻がすごく頑張ってくれ、7月の夏休みの初めには無事クラス旅行が実現した。行きのJRの列車の中、ボックス席で彼と二人きりになったときに全部任せっきりでごめんねーと謝った。すると彼から思いも寄らないことをいわれた。”僕は現役で大学に入ったから、高校時代は入試入試で何もやって来れなかったんだ、だから秋山とか浪人してた奴の話を聞くと、いろんな事をやっていてうらやましくてうらやましくて。だからこれから沢山いろんな事をやろうと思っているから、今回の旅行の準備だってとても楽しかったし全然問題ないよ”と。ぇー。2浪して僕が積んだ経験なんてたいしたこと無いのに、と思ったものだ。
それから3週間ぐらいしてからだろうか、今度は京都の烏丸今出川の地下鉄駅で彼にばったりあった。こっちは長かった馬術部の試合期間が終わり、最終で滋賀の実家に帰ろうとしていたところだった。高辻は始めて夜行バスで神奈川の実家に帰るところだったらしい。夜行バスの乗り場がわからないというので、乗り場まで送ってあげた。京都駅に向かう地下鉄の中で、”冷蔵庫の中を空っぽにしなきゃいけなかったから卵を全部ゆで卵にしたんだよ。一個いる?” いいからおまえがバスの中で喰えよ、と高速バスの乗り場で彼と別れた。じゃぁな、って別れたときに、妙に振り返りたい気分になったのを今でも良く覚えている。変だなぁと思いながら彼と別れた。高辻がサイクリング部の合宿中に、遊泳禁止の余呉湖で泳いで亡くなったのはそれから2週間もたっていなかった。そりゃもちろんショックだったけど、何より彼が”これから沢山いろんな事をやるんだ”と言っていたのがずっと耳に残っていた。
あれから18年。いろんな時に彼のあの言葉を思い出した。そしていつも思っていた。僕がこれまでやってきた事なんて、全然たいしたこと無いよなぁ、って。僕はもうすぐ36になり、今僕の周りにはあの頃の高辻と同じ年頃の学生達が、目をキラキラさせながらはんだごて握りしめてマイコンボードを作ったり、カタカタミシンを踏みながらパラグライダーなんぞを作っている。こっちはそろそろ帰りたいんだけど、と横目で見ながら彼等が帰り支度をするまで、毎日毎日つき合っているわけだ。いいさ、飽きるまでどんどんやるといい。沢山、沢山いろんな事をするといいさ。あいつがホントにびっくりするぐらい、すごいことを一緒にやってやろうじゃないか。。。でもな、やっぱり毎晩午前様だけは避けようよ。な?(^_^;

・思い出話

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