現在の日本という国においては、多くの人にとって、当たり前のように明日は来る。その昔、死というものが自分からほど遠い場所にしかなかった平和な子供時代、自分が生まれてくる前の歴史書を読むことで、死がいつも隣り合わせにある時代を、自らの死で仲間の明日を作り出さなければならなかった時代を、父祖が通り抜けてきた事を知った。そして人生も(おそらく)半分を過ぎようとしている今、いくつかの身近な死を体験して、当たり前のように明日が来ない事があることも、実感しつつある。
突然事故で死んだ友人。彼等が何を思って死んでいったのか、もちろん僕にはわからない。しかし中には、自分の余命を知った上で、死を迎えた友人達もいる。彼等が死ぬまでの1年とか2年の間、死ななければならない彼等と、おそらく明日も、明後日も、明明後日ものほほんと生きているであろう自分とを、嫌でも比較させられた。そして比較してもどうしようもない理不尽さ、いや、自然の摂理なのだろうけど、それをまざまざと見せつけられて生きてきた。そして今日もまた生きている。
自らが選択して、あるいは大きなダイスの丁半によって選択されて、生き死にが決められた64年前と違い、今の僕は「残された者の責任として」などとおこがましいことを言えるような立場には全然無い。僕もまた、多くの現代人と同じように、当たり前のように明日を迎える事が出来る人生を送っているのだから。
どんな形で僕の人生が終わるのか、それはわからないけれども、その瞬間に自分が生まれ落ちたことを、生きてきたことを、そして死んだことを、自分自身の満足と出来るような生き方をしたい、そう思う。他人がどうだとかこうだとか、そんなことはおそらく全く関係ない。全てを総覧して、見て、感じて、自分自身がそれに満足できたのか、出来なかったのか。必死で走り続けたのか、走れなかったのか。それだけだと僕は思う。
そしてそんな生き方しか無いということを、学生に伝えるのが僕の仕事だと思うんですけどね。
いやはや。この説教臭さで全てがパーだなぁ。。。。

・必死

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One thought on “・必死

  1. こんにちは、お久しぶりです。
    先月は大変お世話になりました。
    秋田への旅も終了し、携帯も解約し、心身ともに身軽な状態で『宝くじ』購入を続けています。
     あなたが空しく生きた今日は
     昨日死んでいった者が
     あれほど生きたいと願った明日
    私がよく呟く言葉です。
    どう生きるかも大切ですが、
    まずは、死ぬまで生きてみようかと思ったりします。

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