その昔、僕がまだ高校生だった頃の話し。関西生まれで四国の片田舎の高校に通っていた僕は、何かの用事で東京に行ったわけですよ。で、夜のプラットフォームでの話し。立ち姿、すらっとしてちょっとイケメンな男の人。最初はじっと立っていたのですが、、、、突然くるっと足を回してぴたっ!っと、うーん、なんかのダンスの決めポーズですかね?の、練習を始めたのですよ。夜とはいえ、僕も含め人の居る電車のホームでですよ?なになに???とか、思わず眼が点になりました。
でももう一方で、「あーそうか。この人には周りは見えてないんだなー。ここは巨大な彼のための舞台で、その中心に彼は居るんだ」と、何故かしみじみ思いました。『東京』という巨大な舞台で、その劇の中心に居る彼。全ては彼の物語を彩るおまけなんだよね、と。関西人のおいらには、とーーっても恥ずかしくてそんなことは出来ない、とか思ったのですが。

で学生のお話(笑)<そこに来るのかw
実は僕、「一生懸命やっている」学生って、余り信用してなかったりします(^_^; (ぇ、昨日と話しが違うって?(^_^;)何故か?
あれから時は下って20年。日本の地方の隅々まで、「君達は君達の物語の主人公さっ!」という、あるいみ恥ずかしげもない状況設定が行き渡ってしまったわけですよ。そんな中で、そりゃもうそれぞれの学生は世界の中心なわけで。『一生懸命やっている自分』を演じているだけ、だったりするのです。『疲れちゃった自分』『ダメな奴な自分』そんな感じです。ま、それはそれで頑張ってくれるならいいじゃん、と言う話しもありますが(^_^;、でもやっぱりなんか根っこがないんですよね。なぜなら、それは『演じている自分』だから。
そう言う場合、往々にして「頑張る対象が突然変わっちゃう」とか在るわけで。周りから見てると、「ぇーーー。は、話しがちがうやんっ!」なんですが、本人のとっては全然違わなくて。だって演じてるだけですから。一生懸命演じていることは何にも変わっていないわけですから。なので、昨日まですっげぇがんばってプロジェクトを進めていた学生が、突然居なくなったりするわけです。こっちは「な、なんでやねん・・・」と思いますが、本人達は極めて一生懸命に一生懸命なんですよねぇ。。。。
だから全然信用してなかったりするのです。ぇ? 人間信用しなさ過ぎって?(^_^;
じゃぁ反対にそう言う状況はどうやったら解消されるのか?といえば、、、、。うーん。わかんないんですけどね。でも、粛々と、何の感動もなく、感情の起伏無く、粛々と、黙々と、それをやり続ける姿を示すことかな?とか思ってます。まぁ、それが辛いんだけどね。おいらだって自分の物語の中心になって、喜怒哀楽まき散らかして、没頭したいやいっ。でも在る意味、没頭できない、すごい冷めた視点を忘れたら。。。あっというまに「自分中心劇場」に飲み込まれちゃうんですよねぇ。。。。

最近、『そうだっ!かっこよくなろうっ!』と決めたんですが、その為には『弱音なんて吐かないでストイックに生きなきゃっ! びばっ! ハードボイルどっ!』とか思っているわけですが。いやぁ、辛い辛い。ありゃ?弱音吐いてる?(^_^; しかもどっぷり自分中心劇場?(^_^;
あー。もうなんでもいいやっ! < なんじゃい、そのオチ

・巨大な舞台とは?

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