モノポリーというボードゲームがある。我が家では小さい頃からよく家族でやっていた。40マスをグルグルと回りながらマスの権利を買い、同グループのマスをそろえて家を建てたりホテルを建てたりして、自分のマスに泊まった他のプレーヤーから宿泊費を取っていくというゲームだ。マスの権利を買うには一番最初にそのマスに止まらなければならず、なかなか同グループをそろえることが出来ない。そこで他のプレーヤーと売買してそろえていくことになる。この売買が運命の分かれ道で、上手な取引をすればモノポリー(独占)的にのし上がっていくことが出来る、実に資本主義的なゲームなのである。
で、話しは変わるが、しみったれた2人の酔っぱらいの話というのがある。ここになんだか良く形のわからん容器に酒が入っており、良く形のわからんコップが2個ある。しみったれた2人の酔っぱらいは仲良く酒を分けようとするのだが、酒の量をきっちり量れないので、さすがしみったれ。おまえの方が多い、とお互い非難し合い喧嘩になる。さて、この2人のしみったれが文句を言うことなく納得するにはどーいう風に分ければよいか?と言う話しである。答えは簡単。一人が”自分が満足する”ように酒をそれぞれのコップに分けて、もう一人が”自分が満足する”側のコップを取ればよい訳である。
モノポリーの話しに戻ると、取引を成立させるためには実に様々な方法がある。なだめすかしたり騙したりするのも方法だろう。でも僕が良くやるのは、僕が納得する取引(例えばこっちがマスの権利を手放し相手が現金をよこす)を提示し、この取引か、あるいは逆取引(相手がマスの権利を手放しこっちが現金を払う)か、どっちかを相手に選択させるという方法である。結果としてそれがどっちに転ぶかは、お互いイーブンなはず、である。僕としては最大限、公平にやっているつもりで、それが長期的には僕自身の取って一番の利益になると思っているからだ。ところが往々にして、その後の展開が僕のほうに有利に情勢が傾くと、うちの兄妹はいっつも言うのだ。”あの取引で騙されたー”と。何をおっしゃるうさぎさん(-_-;
今回のロケットガール養成講座もそうだけど、学生と僕とのやりとりってこれにちょっと似ている。もっとも実社会に於いては、僕は教員で相手は学生であるという立場を交換することはもちろん出来ないので取引の方向性を交換することって難しいのだけれども、僕はいつもお互いにとってイーブンだと思う取引を学生に提示しているつもりである。学生もそれに納得してくれて参加してくれている、と思う。ロケットガール養成講座に於いては、それこそ全国の学生に足つきで様々な機会を提供している。(あ、この場合学生は大学生ね)学生の活動によって、僕は自分がやりたいと思っている事業を進めていくことが出来ている。なるべくイーブンな関係でありたいと思っている。”先生にやらされている”とおもう学生が居て欲しくないと思っている。どっちかというと、”先生の提案を利用して、自分の可能性を大きく広げてやった”とほくほくして貰いたいと思っている。とりあえずはそれでokで、そうやって成長して巣立っていった学生達は、社会人になっても僕とイーブンな取引をしてくれると思っている。
もちろん、教員が学生と同じ視線でしか物を見れないとすれば、それはダメだと思うけれども、教員が学生が社会に於けるお互いのポジションをきちんと認識しながらイコールパートナーシップを築けること、これが今後の大学教育ではますます重要になっていくはずだ。社会とは騙し騙されではなく、イーブンな取引の上に構築されていくお互いの信頼関係によって築かれ廻っていくのだと思う。というような話しを延々としていると、うちの学生からは”また先生の説教が始まった”と言われてしまうわけだが。はーっと大きなため息一つ、だ。
もちろん、ロケットガール養成講座に参加している高校生達にはこんな話しをするつもりはあんまり無い。たぶん彼女達が”価値ある”と思うことは、僕が”価値ある”と思うこととかなり乖離があり、その溝を埋めるための翻訳作業がまだまだ必要だと思うからだ。一方で、参加してくれている秋田大を含め全国の大学生一人一人から、確かな手応えは感じつつある。思えばペンシル50周年を機に始めた能代宇宙イベントが最初だった。Yuri’s nightや社会人学生コラボなどもあるが、当初僕は大学生にとっての”価値”を高めるための方法も理解できてなかったし手段も良くわかっていなかった。しかしここ数年の活動において、大学生達の”価値”を社会の”価値”に翻訳し、その関係性を理解できるように努めてきたつもりで、その一つの成果が今、ロケットガール養成講座でも実りつつあると実感しつつある。もちろんロケットガール養成講座を実施するに当たっては、僕一人の力ではなく、うちのセンター長をはじめとする僕よりも大人メンバーの方々、同世代の方々が有形無形で協力していただけて成立しているのは言うまでもないのだけれども。
とかかいていると僕のことをバリバリの社会制度肯定派と思われそうだけれども、僕はかなりのアナーキストである。いわゆる現代の民主主義は全然支持していないし、国家とか体制なんて糞喰らえと思っている。個としての人間として生きていくことが大好きだが、しかし個としての人間が自然に対するときにいかに無力であるかも自覚しているつもりだ。その為に集団としての”社会”が必要であることもわかっているつもりだし、集団となった時に”社会”と”社会”の慣性力がどんな悲惨な事態を引き起こす可能性があるかもわかっているつもりだ。我々は好むと好まざるにかかわらず、”ここ”に”生きて”いて、そして今の僕の仕事はこれから”ここ”に”生きて”いこうとする学生を育てることだ。”育てる”などと書くと高みから見下ろしていると勘違いする学生もいるかもしれないがせれは全然違う。それが全然違うと言うことを理解できる学生を育てること、それこそ今の僕がやるべき事だと思っている。
いろんなことを起こして、どんどん手が一杯になって行っている。全然手が回らなくなったり、バタバタしていろんなことが頭の中から抜け落ちたりしていっている。でも、まだまだやりたいことがゴマンとあるのだ。一人じゃやりきれない仕事で、そういう意味では仲間を増やしていくことが、最重要の仕事でもある。これから自分が進んでいく道が、照らされて在ることを心から望んでいるけれども、”照らされて”というのは誰かが照らしてくれるということではけっしてない。自分で照らして行く事だ。まだまだやりたいことはあるし、まだまだ満足しちゃいかん。そして確実に、僕が信じた事を、もし僕が居なくなっても続けていってくれるであろう学生達が育ちつつある。まだまだやるぞ!というのを新年の所信表明としよう。
ま、学生諸氏は”騙されたー”と思わないで一年を、一生を終えないようにしてくれると良いと思うけれども、それはもう僕が懸念することでもないのだけれど。

・学生とつき合っていて思うこと

Post navigation


2 thoughts on “・学生とつき合っていて思うこと

  1. こっそり、しかし確実に読んでいるのですが、初ツッコミを。
    交渉術のところについては、ごもっとも。いわゆるwin-win関係というのは交渉というか人間関係にとって極めて重要となるもので、そこはいつも考えています。
    学生という立場は一方的に何かを求め過ぎ、与えられることに甘んじていると感じています。自分も含めて。
    学生と先生という関係の前に、一人一人のの人間として接しているということを学生も先生も意識していれば、互いに幸せな関係を築けるのかなと思っています。
    こんなことを書くと先生を敬っていないと言われそうですが、人を平等に敬っているのであれば、先生を特別に敬う必要もないと思っています。
    先生に触発されて、コラボ、ユーリズナイトを始めて良かったと思いますし、感謝しています。尊敬し、信頼しているからこそ伝えたいと思い、書かせていただいた次第です。

  2. ありがとうっ!
    それですよ、それ。昨晩もうちの学生とおそくまでその話をしてました。
    先生から一方的に教え込まれるのは高校までで良い。知の殿堂である大学に置いては、先生も生徒も一対一で、自分の思うところをしっかり議論すればよいと思うのです。先生の話を一方的に聞いていると説教だと思っちゃうのです。そじゃなくて、それは先生の意見だけど私はこう思いますというのを、出来る限り客観的に、定量的に提示できれば、それを受けて考える人こそが、大学の先生になるべきと思うわけです。
    思えば田中君とも付き合いが長いですが、僕も知り合えて良かったと心から思っております。というか、これからまだまだ我々の付き合いは続くと思っているし、この先に君が何をしでかすのか、また我々で何がしでかせるのか、いつもワクワクしております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です