今日は「見た」じゃなくて「見よう」な内容。
しかしそのまえに・・・ネット回線、遅くないか???
引っ越しに伴って、ネット回線がNTT東日本の光回線から、NTT西日本の光回線へ。東日本だとNTT側の貸し出し端末はほとんど変なことはしなくて、そこに自前のルータを付けていたわけですが。
西日本だと、ルータの部分まで貸し出し。DHCPも自前では使うな!とか言われて、まぁそれはそれで良いんですけどね。しかーし。なんかサーバの反応が遅い。
どうやら色々と調べてみると、このNTTで貸し出してくれている端末が無駄に?賢くて、パケットをチェックしてくれているらしい。たぶんそれで遅くなっていると思われるのですが。回線速度を調べると、下りは20M越えてるけど、上りは2Mちょい。なんとかならないのか、これ。回線、変えちゃおっかな・・・・

ま、そんなことはさておき。夢を見ような話し。
タイトルとも関連するのですが、ようやく、ついに、とうとう、民間の有人宇宙港建設に向けて、ここ、和歌山大で動き出すことになりました。
でも実は僕と民間宇宙港の歴史(と言うほどの物なのか)は古くて、、、思い起こせば、あれは2000年の秋まで遡ります。当時はまだ僕は西松の社員で、技研にいましたが、押し寄せる不興の中、研究を続けていけるのかどうか、不安に思っていた頃でした。技研の仲間も次々と現場に送り出されており、僕も何時、現場に放り出されるかわからない、そんな時期でした。丁度その日も、ランドマークタワーの横に三菱の科学館があると聞いて、見学に行っていたときに、現場に出された後輩から電話が有ったりしたのを覚えています。その後、一緒に行っていた矢野さんと、ランドマークタワーの下、吹きさらしのデッキの上で、スタバのコーヒーを飲みながら、今後の世界の宇宙開発の動向などを話しました。
我々の話題はかなり多岐にわたったのを覚えていますが、そのなかでもホットトピックスは、今後も宇宙開発は国主体で進展するのだろうか?との内容でした。前年に中国は神舟1号の打上を成功させており、2〜3年以内には世界で3番目となる有人飛行を成功させることはほぼ確実、と思われている時期でした。一方で1996年にはピーターディアマンテス率いるX-Prize(後にアンサリX-Prizeと改名)が結成され、民間による有人宇宙飛行レースが始まっていた状況でした。この飛行レースの結果ですが、矢野さんと私のこの日の会合から4年後の2004年6月21日に、スケールコンポジット社のSpaceShipOneによって初の民間有人宇宙飛行が成功したのは皆さんも御承知の通りです。このような状況の中、日本は国として何をすべきなのか、民間として何をすべきなのか、そんなことを話し合っていました。
ところでこの矢野さん。ある意味ピーターも真っ青な詐欺師だと私は常々思っていますが、とても誘導尋問が上手な人です(笑)
矢野:「ところで秋山さん、今から15年後の世の中、どうなっていると思います?」
秋山:「中国は有人飛行に成功して、独自のステーションを作ってるかもしれないですね。日本は相変わらず有人飛行はやってないんでしょうねぇ。一方でX-Prize参加チームによる民間宇宙機も成功していて、アメリカや日本にも民間の宇宙港が出来はじめているかもしれませんねぇ」
矢野:「その民間の宇宙港だけど、日本の宇宙港はやっぱり日本人が大きく係わって作ることになりますよね。一体どんな人がそれを作ると思いますか?いくつぐらいの人が作ると思いますか?」
秋山:「そうですねぇ。まぁ40から50ぐらいで、一番脂ののった年代の人が作るんでしょうねぇ・・・」
で、この後の矢野さんの一言が、ある意味その後の僕の人生の舵取りを大きく変えちゃうわけですが。
矢野:「ところで秋山さん、その頃何歳ですか?45歳ぐらいですよね。どうしてそれ、秋山さんがやったのじゃダメなんですか?」

ぐぁーーーん。いや、これがいつもの彼の手なんですが(こーいうパターンの会話は良くする。例えば火星探査にいくのは何年後で、そうすると今、いくつの子達がその一人になる可能性があるのか、とか)、頭の中で騙されちゃいかーーん、と理性が叫んでるのですが・・・やられました(笑)がーんと一発。強烈でした。冷静に考えたら、「あんたも同じような年齢じゃんっ!」ってツッコミ返せるところなのに(T_T)

ま、その後の展開はおいおい書くとして、思えばこれが最初でした。日本に民間宇宙港を作る。それも自分の手で。そんなことを、初めて考えた日でした。
横浜港を吹き抜ける風が、秋口にしては冷たかったのに、一方では僕の中で、沸々と血が沸き立っているのを、痛いほど感じた日でした。

・夢を見よう

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