週末、古くからの知人が秋田に遊びに来てくれてしばし歓談する機会を得た。その時の話しを自分的メモ
最近の地球温暖化問題は、似非科学とまでは言わないが、「論理的な思考」による帰結ではなく、「何となくみんながそう言ってるから」による帰結であることに言及されることなく流布し、かつ実際の政策まで動かしているという、結構恐ろしい状況になってきている、と僕は思う。「ピナツボ火山の噴火により二酸化炭素量の増加にギャップが見られないのは何故か?」とか、「二酸化炭素量の上昇が温度上昇を招いているのではなく、温度上昇が二酸化炭素量の上昇を招いているのではないか?」とか、そういうあたりの議論はこちらが詳しいからそちらに譲ろう。
我々が議論したのはそもそも何故そんなことになったのか?というお話し。人間というものは、徹頭徹尾、自分の知ってる範囲、影響が及ぶ範囲、理解できる範囲しか、創造力が働かない生き物だと思う。例えば僕はたまたま惑星科学を専攻するから、物事を考えるときには太陽系レベル(天文単位)で考える。タイムスケール的には、地質学を学んだ者として、何千万年・何億年の単位で世界を見る。でも、例えば天文学者だともっと広くて長い単位で物事を見てるんだと思う。距離で言えば銀河レベル(光年単位)だろうし、時間軸も十億年単位だろう。
ただし、物事を見る見方は、別に長ければよい、広ければよいと言うものでもない。より細かく、より短いスパンで物事を見る必要がある仕事だってもちろんある。ただここで問題にしたいのは、”地球温暖化”というのが、地質屋さんのタイムスケールの事象だと言うことだ。これを一般人が理解しているかと言えば、答えは”否”であろう
一般人が理解しているタイムスケールも空間スケールも、もっと小さくて短い。しかし環境問題は、どうも”公害問題”と同じぐらいのタイムスケール・空間スケールで捉えられている気がする。ここが最大の問題点。水俣病然り、四日市ぜんそく然り、甚大な被害をもたらしたこれら公害ではあるが、実は空間的・時間的なスケールで考えると、地質屋さんのスケールからすると実は誤差の許容範囲ぐらい小さなスケールに過ぎないことに気がついて貰えると思う。わからなければ地球儀をとりだしてみると良い。そこに、公害が起きた地域を塗ってみて欲しい。わずかな点にしかならないことがわかるのではないだろうか?。しかし世間の常識はこのスケールで、気象問題を議論しているのだ。そこに大きな問題点がある。
まぁだからどーなのかという事もないから単なる僕的なメモなんだけど(^_^;

・地球温暖化メモ

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