ここでも何度となく、「大学の自由」とかいうことに関して書いてきた(直接的にはこことかこことかここ。間接的にはこことかここ)わけですが。秋田ではそれなりに、学生にもいわんとしてることは伝わったかな?といった感じでした。もっともこう言うのは「精神」の話しで、その「精神」に基づく結果として「行動」があるわけで、「精神」を理解しないまま「行動」だけを模倣しているに過ぎず、全然ダメダメなことも多々ありますが。ま、しかしそれはもはや僕が考えるべき事ではなくて、自分自身でわかって改善していくしか無いことなのですが。
で、和歌山。うーん。みんな行儀良すぎ(笑)というか、「為政者(あるいは自分が支配者であると勘違いしている人達)」に従順すぎ。それに対して異を唱えることも疑問を感じることも無く、もっとひどいのは感じても「長い物には巻かれろ」という処世術。まぁ僕なんかよりも、ずっと大人なのかもしれませんが。
ちょっと話しは変わりますが、昨日、イベントの打合せをしていて、思わず学生に言ってしまいました。いや、心底、そいつは優秀な学生なんですよ。そう言う意味で僕の期待値もMAXなんですが。「君の企画は無難で手堅くて75点ぐらいで合格点だと思うよ。でもね、君は参加者や講演者に気を遣いすぎていて、君が何をやりたいという意思が全く見えてこない。このままだと『良くある成功した企画』にはなるだろうけど、『いつまでも記憶に残る企画』にはなれないよ。人を感動させられるのは、人だけなんだよ?」ってな事を、まぁ今思い返せば偉そうにのたまってしまったわけですが(^_^;
「人と衝突しないこと」「人の気分を害さないこと」ある意味、よい子なんですが、、、うーん。それで良いのかなぁ。既にある制度。既にある社会。既にある規則。既にある環境。それらを平和に維持・継続すること。それで良いのか?静かに、平和に、安全に、安心に、平穏に、人は押しつぶされて窒息死するんじゃ無かろうか?ホントにそれは平和で安全で安心で平穏なものなんだろうか?そんな疑問が、沸々沸々とわき起こってしまうのは・・・・うん、僕が天の邪鬼だからかな?(^_^;
思うに、人は他人によって自由を奪われるのじゃ無いんですよ、きっと。自分で他人に自由を譲渡してしまう。歴史を振り返ってみれば、そんなことが多々あったのではないか?と思います。自由の奪還を唱える者にとって、一番の敵は権力者じゃないんですよね、きっと。自由のない社会を構成している、自由を奪われた民衆こそが、一番の敵なんだと思います。ま、そうすると、「民衆が欲してることこそ真理だから、自由の奪還を唱える者こそが悪」になっちゃうんじゃないの?というジレンマに陥るわけで。ぅー。
今日の結論。銀英伝、また見るかw←結局其所カヨ(-_-;

・人はいつ自由を失うか?

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