今回の後半の旅は、外務省の依頼でポーランド・チェコ・リトアニア・エストニアにて、日本の宇宙政策の現状および今後の二国間協力関係の促進に向けた講演・打合せのための出張でした。これら東欧・中央の4カ国は、僕が是非、訪れたいと思っていた国々でした。

日本においては第二次大戦末期に起こったワルシャワ蜂起について、あまり知られていないのではないかと思います。僕も実際ほとんど良く理解して居らず、今回一番の衝撃を受けたのがこのワルシャワ蜂起博物館でした。ワルシャワ蜂起に先立つテヘラン会談にて、ポーランド支援を訴えたチャーチルに対し、スターリン・ルーズベルトは動かず、このとき戦後ポーランドの運命は決していました。しかしそんなことも知らずに、ワルシャワ市民が立ち上がった事件、それがワルシャワ蜂起です。ソ連によって解放される戦後と、自分達の手で勝利を勝ち取った戦後とを天秤にかけた末の決断だったのでしょう。またポーランド市民の蜂起に対して、川向こうまで迫っていたソ連軍をはじめ、連合国が呼応してくれることを信じていたのでしょう。しかしその希望は無残にも敗れます。当初は優勢だったポーランド国軍の抵抗は、ナチスによる圧倒的な反抗により完膚無きまでに叩き潰されます。しかも、ヒトラーはワルシャワの徹底的な破壊を命じます。しらみつぶしに爆撃され破壊され尽くした家屋。川に崩れ落ちる橋。ワルシャワ蜂起博物館では、その3次元映像を見ることが出来ます。あまりの光景に、一言も発せません。
確かに、確かに、そこには2人の人間の狂気がありました。ヒトラーとスターリン。共にポーランドを『消滅させる』。そんな意図を持った狂気がありました。しかしそれを実行に移したのはドイツ軍でありソ連軍であり、兵士一人一人も自分達が『ポーランドという国家・文化・民族』を絶滅させる作業に荷担していることを、当然知っていたでしょう。その試みは幸いなことに失敗に終わりましたが、しかし、考えてください。貴方がポーランド人だとしたら?両隣には、『自分達を絶滅させようとした国家』が未だに存在し、しかもその罪を許し、共に生きていかねばならないのです。その気持ちがどれだけ重く、辛いものなのか。そして戦後、ソ連の支配下に置かれた東側諸国としての長い長い歴史の後に、『連帯』の活動により、そしてポーランド出身のヨハネパウロ2世の辛抱強い語りかけにより、ついにポーランドは民主主義国家としての自由を回復します。

一度は破壊し尽くされたにもかかわらず、人々の想いをたどって再建された街並みは、とても美しく輝いていました。子供達が広場を駆け回っていました。強い。実に強い。ポーランドはとても強い国です。

一枚の写真の記憶があります。頼りなさげな2本の門柱と扉。そこに腕を置き、なかを見つめる男。そして周りに悲しげにたたずむ、多くの人達の古ぼけた写真。1940年代のある日、それは当時のリトアニアの首都、カウナスの旧日本領事館前で撮られた写真でした。押し寄せてきたのはポーランドを脱出してきた多くのユダヤ人達。ナチスの虐殺から何とかして逃れたい。その彼等がたどり着いたのが、日本の領事館でした。通行ビザをくれ。彼等は口々に訴えます。当時、領事を務めていた杉原千畝は本国とのギリギリのやりとりのなか、なんとか彼等に通行ビザを発給する言い訳を考えつきます。そして発行したビザ6000余枚。これにより多くの命が救われました。
今回、リトアニアで、僕はどうしてもこの門が見てみたかったのです。この道路を、街並みを見てみたかったのです。そんな信じられないような歴史の一断面が、一人の人間の決断が多くの人命を救えた事件の現場を、どうしても見てみたかったのです。幸い、今回はカウナスでも講演が組まれていたため、ほんの5分間でしたが旧領事館に立ち寄ることが出来ました。既に塀は無くなり門戸も無くなっていましたが、ただ2本の低い門柱だけが、写真のなか、そのままに立っていました。

ここであの歴史が起きたんですね。この道に多くの人が立ち、そしてこの街並みのなかを歩いて行ったのですね。

人間一人一人に、出来ることはちゃんとある。社会の中で、やるべき事はちゃんとある。そんなことを再確認しました。

冷戦構造下で起こったプラハの春。自由を求める人達が戦車により踏みつぶされ、学生が抗議の焼身自殺をした広場が、プラハにはあります。今でも多くの人達が花束を手向けていました。そして1990年代。リトアニアで始まった人間の鎖が、ソ連を崩壊に導き、東西の冷戦を終わらせます。この人間の鎖の視点となった古城の尖塔絡み降ろすと、ヴィルニスの街が初冬には珍しい晴天の下、まばゆく輝いていました。

そして今回の旅の最終地、エストニア。歌の力でソ連支配を終わらせたといわれるこの国の、中世の趣を残す旧市街のビヤホールで、大変御世話になった外務省の方と楽しくビールを飲みました。蜂蜜入りビールが実に喉に心地よく、1リットルでも2リットルでも胃に滑り込んでいきます。給仕をしてくれた陽気なお姉ちゃんと話してみれば、リトアニアとロシアのハーフとのこと。いろんな物を飲み込んで、歴史は一歩一歩、進んでいるようです。階下では音楽に合わせて、人々が笑いながら、くるくると踊っていました。沢山の人が、実に沢山の人が、生きてるんですよね、この地球には。それぞれが沢山の楽しみを抱えながら。生きていれば、毎日はこんなにすばらしいのですね。

今回の全ての国の講演で、僕は一枚のスライドを使って発表をおえました。我々日本人は何を考えて宇宙開発を進めるのか?何をもって、我が国が進むべき戦略とするのか?政治的な議論を好まない我が国では、こういった方針というのはあまり語られることはありません。

昨年、宇宙関連の有識者会議のメンバーに選ばれ、日本の宇宙政策に関して想いを馳せていたとき、結局最後にたどり着いたのは、我々が世界でどう生きたいのか、どう生きるべきなのかという問題でした。残念ながら何処にも明確な答えは無いのですが、結局、昔からよく知っている一つの文章に行き当たりました。

『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい』。日本国憲法前文の一文です。

2度に渡る大戦の舞台となり、その後の冷戦の時代、核戦争の舞台となる恐怖の中で生き延びたヨーロッパ。そして現在。民族・国家の文化・歴史を重んじ、その尊厳を守ることが重要だと、彼等は心に刻んで生きているように僕には思えます。あの過酷な時代の果てにたどり着いたその結論が、このような希望に満ちた未来であることに、大きな驚きと同時に幸せを感じます。

我が国は戦後、アメリカの傘下で奇蹟とも呼ばれるような経済的発展を遂げ、そんなことをすっかり忘れ果てていたようにも思います。しかし振り返ってみると、我々があの第二次世界大戦で学んだ精神は、やはりこの憲法前文の一文に集約されてるのではないでしょうか?

僕の講演を聴いたリトアニアの明石大使の言です。「貴方の話しは外交官である私が言ったとしたらちても嘘っぽく聞こえると思うけれども、大学の教員である貴方が言うと本当っぽく聞こえるわね。それにきっと、あの3月の大災厄の後の多くの日本人の行動を見て、世界は貴方の言葉を信じるかもしれないわね。」

きれい事では済まない、外交の現場を見てきた彼女の言葉がとても重たかったです。しかしその彼女から出たこの言葉は、我々が今、世界と共に歩き、少しずつこの日本を治していこうとしているこの一つ一つの行動が、まさにこの憲法前文の一文を体現している行動なんだよと、同時に教えてくれたように思います。

まだまだ困難な時期が続くと思いますが、一歩一歩、進んでいきましょう。それが我らの信じる国際社会の中において、我々が名誉ある地位を占める行動なのですから。一人一人の力は決して小さくはありません。今居る場所で、必ず出来ることがあるはずです。頑張りましょう。明日の世界の、多くの笑顔のために。

・ワルシャワ蜂起、旧カウナス日本領事館とプラハ、そしてエストニアの酒場

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3 thoughts on “・ワルシャワ蜂起、旧カウナス日本領事館とプラハ、そしてエストニアの酒場

  1. あきあきさん、もう日本ですか?おかえりなさい。訪問された国々は、昔からあこがれの場所です。行きたいです。
    ベラルーシ、近いですね。
    わたしは先週末いわきの友人のお家に遊びに行きました。
    5月以来でしたが、地震と津波の足跡はそのままで、大地は自然に元に戻らないんですね。、原発事故は、人の絆を理屈なく引き裂いて、理不尽で、そして、人々の日々の暮らしは、ぬぐえない影はあっても、普通の生活と、平和な日常があり、変わらずに、仲良く穏やかでした。
    人は生きて死んでいく、その中で、友人は娘や孫のいる暮らしを失い、それに思いはあったとしても、意味深さはなく、さらっとして、人生を受け入れた人は、強くてたくましいと思いました。
    何が出来るか聞いたら、素直にサポートを必要とし、にこやかに、やれることやって、と言われました。
    あきあきさんのHPを読ませてもらい、ふと、宇宙開発から(人の住む)地球を手当てしてもらう方法あるかな、と思いました。
    地球がボディで、人間が細胞だととらえたら、みんなが共有できる何か見つかりそう。みんな、そんなのとっくに考えてるかもしれないけど、ひとつひとつの細胞の奥の底にあるハートが、地球を形作っているとして、宇宙開発がそれに着目したら、どうかな?と思いました。
    一日に何度か、宇宙からみた地球の写真を心の真ん中に置いて、会社で夕方、それで周りを眺めてみたら、みんながいて、すべてここにある、って不思議な幸せな気分になりました。
    あきあきさんがおっしゃるように、前に進みますね。わたしの少しが、大きな違いと思いながら。

  2. ご無沙汰しております。
    以前、大変お世話になった者です。
    どうしても秋山さんにお聞きしたいことがあるのですが、メールアドレスがわかりません。
    和歌山大学宛てにメールするのも申し訳ない気がしまして。どちらにメールすれば、秋山さんに読んでいただけるでしょうか?

  3. 私のメールアドレスはここ10年ぐらい変わってないですよ。私のフルネームと、akiyama@で検索しても出ると思いますが。

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