どうやら私のblogへのアクセス数もだいぶ落ち着いたようですが(笑)、アクセスログを見ると宇宙関連省庁の方の閲覧は、継続して続いています。反対にtwitter等で見られて来た方々は、そんなに継続的には見に来ていない、というような雰囲気のログに見えます。なぜあえてそんなことを書いたかと言えば、『国家百年の計』として、宇宙政策を誰が真面目に考えているのか?という問題の一つの切り口として使えるのかな?と思ったからです。
例えば僕が「日本の宇宙政策は国家百年の計からこうあるべき」と言ったとしましょう。でも、僕なんて有識者会議が終わったら、それでドロンしても全然不思議じゃない訳ですよ(追記:いや、僕はちゃんと自分の発言に責任もってその後も行動していきたいと、もちろん思ってますけどね。ただ、他人から見たら「そんな保障が何処にある」と言われかねない、ということですよ、念のため。)。結局、そこで建てられた政策等を残りの百年、誰が面倒見るのか?政治家だって選挙で負けたり担当省庁が変わったらそれで終わりかもしれませんよね?そう、最後まで面倒を見るのはやっぱり官庁、そして其所に務めている官僚の方々なのです。そういう意味で、官僚の方々は「国家百年の計の担い手」としての自負があるべきだし、また周りもそれを認めた上で、彼等に与えられた権威(というか尊敬)等も含めて、色々なことを考えるべきだと僕は思っています。このblogのチェックなんて些細なことですが、それも「大事の前の小事」なんだと思います。一つ一つの検証と積み上げ。それが「現場を守るべき人間」としての責務なんだと思います。
一方で、「国家百年の計」を官庁が担うかもしれないけど、一人一人の官僚が実は担っていない、というような現状もあるのかもしれません。そうであるならそれはもちろん、改善する必要がありますね。例えば宇宙戦略本部を見てみましょうか。ここは現在、内閣府の下にありますが、経産・文科等を中心とし、JAXAや様々な省庁から出向の形で人が集まってきて議論をしています。このような場合、「自分がこの任に就いているのは2〜3年だけ。だからそれ以上の長期に関しては責任が持てない」というような理由で消極的になることもあるのだと思います。これがどこかの省庁の下に、その省庁プロパーの官僚の方々が立案・遂行している政策であれば、「省庁の面子」、すなわち「国家百年の計の担い手」としての省庁ですね、この面子にかけて、その継続性と一体性が保障されるのかもしれません。ここのところは一つ考えないといけないポイントなんだと私は思います。
おそらく、今回の有識者会議の結論として一番重要なのは、「何処に何がどう転んでも、日本の宇宙は俺たちが最後まで責任もって実施する。投資された予算以上のリターン(それは金銭的なものとは限りませんが)を我が国にもたらす」という気概のある『調査・分析・政策立案組織』を作り上げること。これなんだと私は思っています。これからの議論がどのような方向で進むのかはまだわかりませんが、少なくとも私はそれを主張していきたいと考えています。
そしてそのためには、官民一体となった協力体制が必要不可欠です。もはや「政治家が悪い」「官僚が悪い」「官需にぶら下がってる民間が悪い」「利益漁りする民間が悪い」とか仲違い出来るほど、我が国の経済情勢は良くありません。これは前の国富の話しで述べたとおりです。それぞれが何が強みなのか?何が分担なのか?(これは「やらされてる」分担ではなく、「誇りを持って実施する」分担という意味です)どういう協力によって、一つの強い日本が産まれるのか?そこを今、とりあえず私に関係する分野としては宇宙で、組み立てていく必要があるのだと思っています。
仲良し倶楽部である必要は全然ありませんが、それぞれがきちんと誇りを持って『自分が負うべき責務は負う。その代わり必要な提言はきちんと行い、確実に実施する』という意識の共有が一番大事です。今回の有識者会議が、そのための一つの立脚点と成れると良いのですが。引き続き、頑張ります。

・その担い手は誰?

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3 thoughts on “・その担い手は誰?

  1.  先に「視野を広げた若者は日本に残らん」などとアレなコメントを書いてしまいましたが、否定的な意図ではないので補足を。前に「幕末の京都のように志士が闊歩する状況を作りたい」というような趣旨のことを書いておられたと思いますが、幕末期にはそれに続く明治国家の建設という一大プロジェクトがあり、それに参加する・反発するという形で、有為な若いエネルギーを回収し得たという事情があると思います。
     若いエネルギーを逃さず回収するためには、それが活用される大きな入れ物が必要ということでしょう。幕末のように現在の日本の社会体制をひっくり返すわけにはいかんでしょうから、それに匹敵するような何かが必要なのですが、さて、失敗すれば国の屋台骨が折れるくらいの何かが必要のように思いますが、どうしたもんか。
     機動エレベータの四、五本もぶったてますか。それじゃあ足らないかな。

  2. こんばんは。ほったです。
    宇宙に関しては、ここでふんわりと述べられている「ユーザー」というものが、実は多くの場合、国家の枠組みから外れてしまうから(+秋山さんもそのことをおそらく重々承知しているから)、話が抽象的になってしまうのではないでしょうか? かなり大胆な物言いになるかもしれませんが、国家の枠組みとリンクしたユーザー、というわかりやすい観点で議論を進めることが肝要で、個人的には国防、災害監視・誘導といった地観系と、国策としての探査系に主戦場を絞られた方が良いと思います。もちろん、地観系システムも探査系システムも国際貢献が可能な緒元を有しますが、そこは割り切って。それこそ、有能な運用者たる官僚に任せるべき領域だと思います。
    あと、そう遠くない将来(というか、すでに顕在化しつつありますが)、「民」も国家の枠を超える事態が出現すると思います。たとえば、「日本の○○重工」という語感と違和感がないレベルで、「太平洋極の○○重工」とか「地球の○○重工」という言い方が当たり前になるかもしれません。そうなると、この地で生まれたのだから、といって、その企業を母国が縛り難くなります。日本という国家に魅力がなくなれば、現在の「地方から東京への移転」などと同じような感覚で、企業のヘッドクォーターが「地方たる日本」から出て行くことが常態化するでしょう。そこで、「何が何でも国内に縛れ」という国家強権を発動しうる分野は、私の思いつく限り国防しかありません。「国家の計」と「民」との関わりは、民が長かった秋山さんだからこそ、きちんと考えて頂きたいと期待する命題だったりします。
    以上 民の世界に身を置く人間からのコメントでした。

  3. 書き込みありがとうございます。
    内容、確かにそのとおりだとおもいます。しかし一方で、今回、私は「国の大臣」の下の有識者会議に出ているので、「日本」という国家が消滅することを前提とした話しはなかなか出来ないかなぁと感じています。またいわゆる「国家」という概念が無くなるには、まだ100年以上のタイムスパンが必要かと思っています。他国に出て行くにしろ、その国の覇権という物に頼らざるを得ない状況はまだまだ続くでしょう。そう言う意味で今回、まずは「国家」という枠組みを考えるのが妥当だと私は思っています。

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