入社した頃のことで何が一番印象に残っているかって、この”さすがですね”って言葉だ。事務のねーさん達に”さすがですね”といわれたり、下請けの業者の人に”さすがですね”といわれたり。一体何がさすがなのだ???と思った物である。おそらくは、事務のねーさん達からすればそこそこの大学から久々に入ってきた新人って事で”さすがですね”だったのだろうし、下請けの人から見れば元請けの人なので”さすがですね”だったのだろうけれども、なんだかとても馬鹿にされている気がした。
同期は結構醒めた奴が多くて、それこそさすがに僕に”さすがですね”等という奴は居なかったし、反対に元請けと下請けの関係を事細かに解説して、社会人としてどう生きるべきかをレクチャーしてくれる奴もいた。良い同期だった。
その後、会社内ではとことん自分がやりたいと思ったこと、価値があると思ったことを追求した。利潤が十分に上がっていて、自由闊達だった入社当時から、どんどんどんどん利益率が下がり締め付けがきつくなってきた社内の雰囲気とはまさに逆行する行動だったので、段々と僕に”さすがですね”という人間は居なくなってきた。そして会社が研究活動からの撤退に本腰を入れはじめ、僕も現場に出された。それから半年して、会社を辞めて、秋田大に移ってきた。しかし今、秋田大で僕を支えているのは、この会社で誰も僕に注目しなくなった頃に築いてきた、実に様々な分野の、実に様々な仲間達のネットワークである。

学生って、僕からすると意味不明な自信に満ちあふれている。そのくせ社会に出る前段階になって、僕から見るとちゃんちゃらおかしい狂想曲を繰り広げ出す。どの会社に行くとどんな仕事が出来るんだとか、自分がやりたい仕事が出来る会社がないとか、あーだこーだと大騒ぎ。そして春になってそれなりに会社に納まると、1年もしないうちに”我が社はこんな会社で”と、すっかり○○会社の△さんに納まっている。実にくだらない限りである。
思い起こしてみよう。坂本龍馬は、一体何の坂本龍馬だったんだろう?ナポレオンは?フランス皇帝だからナポレオンなのか、ナポレオンだったからフランス皇帝だったのか?フォンブラウンは?ナチスのフォンブラウンなのか、NASAのフォンブラウンなのか、それともフォンブラウンなのか?個々人を規定している物は、本来その所属や肩書きじゃない。その個人が何がやりたかったのか、何をやったのか。その課程で、もちろん組織や社会を利用するだろう。しかし我々の中に残っているのは土佐藩でもフランスでもナチスでもNASAでもなく、坂本龍馬でありナポレオンでありフォンブラウンなわけだ。○○の△で甘んじている人間が、何かを成し遂げられることはない。○○が□□だろうが、××だろうが、そんなことはそれこそどうでも良い。重要なのはその人が△さんであること、それに尽きる。自分に自信を持つというのは、本来そう言うこと何じゃないだろうか?だれからも”さすがですね”なんて言われなくても、自分の価値は自分が一番よく知っていればそれでよい。そしてその自分がわかっている自分の価値をどのように体現していくのか。それが人生だし、そしてその過程で一敗地に塗れる事もあるだろう。ひょっとすると、そのまま人生を終えるかもしれない。志半ばで倒れるかもしれない。しかし真の民主主義者がが皇帝の前で決して膝を屈しないように、真に己の力と仲間との連携を信じることが出来たなら、それは一つの輝かしい勝利だと僕は思う。

森鴎外。明治を生き抜いたこの偉大なる田舎者は、軍医総監にまで上り詰め、夏目漱石と並び称される文豪にまでなった。そして今、彼は故郷の岩見で、森林太郎として、ひっそりと静かに眠っている。それで良い、と僕も思う。

・さすがですね

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