8月15日。63年目の終戦記念日だ。もっとも、「終戦ってなんの戦争の終戦?」という質問が普通に聞こえてきそうな、そんな歴史の一ページとなり始めるのに十分すぎるぐらいの年数であるけれども。
毎年、この時期は能代のイベント準備などでバタバタ過ごしている。今年は特に、大きく生活が変わることになるので、バタバタしている。その中でもいわゆる”草踏み”という能代会場整備の大きな仕事を、一人でやらせてもらっている。今年で4年目の能代イベント。また今年もここに、全国から学生が集まってきて、僕の知らない物語を作っていくんだろうなぁと思う。僕はただ、一歩一歩、その為の舞台を作るために草を踏んだだけ。能代での経験の後、何年か、何十年かしたときに、それが大切な思い出だったりきっかけになると良いなぁと思いながら、今日も草踏みをしている。
63年前にも、「明日」を夢見て、「明日」を守ろうとした人達が居た。もちろん、日本だけじゃなくて、世界中にだけれども。そして僕は彼等が思い描いた「明日」の世界を、今日として、生きている。そしてまた僕も明日を考える。
人生という限られた時間の中で、多くの人と出会い、別れる。そして様々な時間を共有し、体験し、明日を夢見る。そこにどんな意味があるのかは良くわからないけれども、先人が夢見て築いてくれた昨日の上に、今日がある。そしてその上に僕らは明日を築く。何も普段からそんなことを考えて無くても良いと思う。でも今日は、そのことをちょっと考えてみても罰は当たらない日だと思う。だから毎年、僕は考えてみている。国粋主義者でも何でもないんだけどね。むしろ無政府主義のアナーキストなんだけど。
一生懸命生きていた当時の人に出会って、僕も一生懸命生きてるんだなぁと感じて貰えることが出来たら、とても幸せだろうな。僕もそう感じて、相手もそう感じる。それじゃ、って別れて、それぞれ別の時間で、別の人生を生きる。そして死ぬ。でもそう言う一瞬の交差を体験できたとしたら、それは幸せなことだと思う。もちろんそれはかなわない事ではあるけれども。
だから今日も、一生懸命、草を踏む。自己満足だけど、独り善がりだけど、そうしていると、誰かが作ってくれた僕の今日を十分に生きて、誰かが生きてくれる明日が作り出せる気がするから。

今年もまた、能代で会いましょう。

・「明日」を生きた我々の今日と明日

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One thought on “・「明日」を生きた我々の今日と明日

  1. 学生とは程遠いですが、とてもいい思い出になっていますよ。
    草踏み、使ってるのは板ですか?重機ですか?w
    今年も行こうと思っています。

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